自負とか矜持とか

まずは復習をお願いいたします。

自信があるんだったら自慢すりゃいいじゃん
続)自信があるんだったら自慢すりゃいいじゃん

常々申しておりますように、人って全面的に、100%自分を否定できることってそうありません。どんなに自信のない人にでも、どんなに自分嫌いな人にでも誇れる部分、自分で認められている部分ってあるんですよ。自分の大切な部分が自分が望むように大切に扱って貰えないから、大切に扱って貰える価値のないダメな自分、って思っちゃうんです。

で。

自分が思っている大切度と扱いのギャップが大きければ大きいほど、鬱屈は大きくなります(当然)。私って実はこんなにすごいのに!と抑え付けられたパートが文句を言います。でもその文句、おおっぴらに出せません。だって、「どうせ声をあげたってわかってもらえないし」という諦めがあるからです。声をあげてもわかって貰えなかった痛みがあるからです。

出したいけど出せない。でも、出したいという気持ちを抑えきれない。出ちゃう。

ストレートに出せないものはどうなっちゃうか。

関係というのは相互です(馬から落ちて落馬した、みたいな文章だな)。自分にないものは相手にも見出せないのですよ。ポジに出るか、ネガに出るかの違いはありますが。ネガに出た場合がつまり、シャドーです。

卑屈と傲慢はセットです、ニコイチです。私は自分の卑屈さには十二分な自覚があるので、傲慢な部分もダダ漏れしてんだろうな、とは思っていました。他者の卑屈さ、傲慢さに過剰に反応しちゃうのは自分に同じものがあるからだとわかっています。

以前より上から目線テイストを醸し出すものがとても嫌だったのですが、どういうことに対して上から目線感を感じるのかを言語化できるようになりましたよっ(私ってすごいー、パチパチ:自己承認)。

上から目線感とはですね、ストレートに出せない「私ってすごいでしょ」です。「私はすごい」と「私ってすごいでしょ」の違いわかっていただけます?

前者は、自己完結しているのです。後者は他者からの承認が必要なのです。評価されたい病なのです。欲しかった評価が得られなかった痛みがあるのですよ。その痛みを覆い隠す蓋、平気なフリの鎧、それが上から目線という武器です。

痛み、傷をヨシヨシしていただくことはもちろん必要ですが、つまりは「どや!」をしたいわけですから、謙遜なんてしてないでさっさと「どや!」できる環境に自分を置けばいいのですよ。慎ましいフリしてないでね。

欲しい評価、欲しい成果を得られる場所にとっととシフトなさってください。それはあなたの中の大切なパートを尊重することなのですよ。自分自身のことを「どや!」ってしにくかったら、大切なパートは別人格化することがおすすめです。

私のパートちゃん、こんなに賢いのよ、って。私は賢い、とは言い難くても、賢いパートがある、ってのは自慢へのハードルが低くなるでしょう。それはもちろん、賢いということを認めて貰えなかったちっちゃいちゃんの痛みをヨシヨシすることですよ。

自負とか矜持って、自分の中の大切なパートを他者にわかってもらうことですよ。この子(パート)とっても良い子なのよ、って。自慢の子なのよ、って。親バカしてあげてください、あなたの中の大切なパートを。

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