子どもは親を選んで生まれてきた、ってほんと?

過去記事再掲 初出:2016090909

年くって感じたのは、年くらなきゃ出来るようにならないことっていっぱいあるんだなー、でした。もちろん年くったせいで出来なくなることもあったけど、できるようになったことのメリットのほうができなくなったことのデメリットを上回るって感じです。新しいことを始めたり、方向転換する際に「年だから」と躊躇されるケースが少なからずですが、何か始めるのに年齢が妨げになることってそうなくって、ただ勘違いしてはいけないのは、若い人と同じようにやらなくては、とは思わないこと。20歳のときの自分が出来たであろうように50歳の自分がやる必要はないので。年齢はあきらめる理由にはならない、というお話でした。

では、あきらめなきゃいけないのってどんな時?
あきらめざるを得ないのって、自分ではどうしようもないことです。なんら打つ手がない時。自分の力ではいかんともしがたいもの。
自分の力ではいかんともしがたいことの筆頭が出自ではないでしょうか。
目についたツイート:

蓮舫が、とか、レイシズムの定義とは、ということは置いといて「本人がどうやっても抗しがたい要因や属性」ってとこに反応しました。
それはあなたの選択だ、という言い方、救いになる場合とならない場合があります。
救いになる場合、それは選択の結果によるメリットを受け取ろうとしない方に。あなたが選択したのよ!あなたの力なのよ!あなたの当然の権利なのよ!と受け取ることへの後押しとなります。
救いにならない場合。
それはあきらめさせるための「言い聞かせ」として、です。
あんたが選んだんやからしゃーないやん、ブツブツ言いなさんな、と。
子は親を選んで生まれてきた、というのはこの言い聞かせの最たるものではないでしょうか。

親、育った環境、出自によるデメリットを、あきらめなさい、と言い聞かせるのです。文句を言う口を封じるのです。
言い聞かせとしての「あなたの選択だから」と言葉をかけらて、救われたためしがありません。
親、育った環境、出自は自分では選ぶことはできませんよ。選べるのは、これからどうするか、だけ。そこには無限ともいえる選択肢があります。
そして、自分の選択ではない、というのはつまり、「自分のせいではない」ということです。あなたの出自や育った環境による不都合は、あなたの「せい」ではないのです。自分が親を選んだ「せい」だ、などと自分を責めないでくださいね。選択という本来はパワフルな行為を自分を責めるための手段に使わないでくださいね。
あなたの今ある環境での不具合、不都合、問題、その根っこにはあなたの「せい」ではないものが潜んでいます。それを見つけることが出来たなら、私が選択したから、と自分を責めることから解放されることでしょう。
それを見つけるのが 悩みの探偵@コネクトロン の仕事です。

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