親はなんのためにいるのか(過去記事再掲

初出:2017/8/7
先日のブログにコメントを頂戴しました。
ご質問っぽいものがあったので、それに対する返答です。
コメント欄に最初は書きましたけど、自分で書いてなんか嘘くささがあったので、ちゃんと書き直します。


親は何のためにいるのか
これは当然のことながら、産み落とされた子からの問いかけです。
では。
親にとって子は何のためにいるのか
子にとって親は選べない存在ですが(選んで生まれてきた、って説もスピ系には根強いですけどね!)、親は産むという選択をしたわけです。
たとえイヤイヤであろうとも、親に産む意志がなければ子はこの世に生を得ることはできなかったわけですから。
子にとって親は絶対的な支配者です。だって親が育ててくれないと子は勝手にひとりでは大きくなれないから(特に人間は)。

https://twitter.com/Poe3Jf/status/890153022398976000
どんな動物の子どもも可愛いのは、愛らしさで気をひいて世話をさせるためだ、っていいますよねー。

また、弱いものは守ってやらねば、という本能をくすぐるところもあるのでしょう。
可愛い、とは、愛されるべきもの、愛されることを自分に許可したもの。
可愛いね、って言ってるのは、愛してるよ、と同義語だと思います。
さて、せっかく産んだ子どもなのに、愛すべき子どものはずなのに、可愛がらない人がいます。
花や植木を買ってきても枯らしてしまう人いますよねー。いわゆる「緑の手」を持たない人です。なんとか育てようと頑張ってもできない人もいるでしょうけれど、はなっから育てようとしない人もいます。
育て方を知らないのです。
だったら買うなよ、って話ですが、やっぱお花が家にあるとなごむので、もしくは貰ったりとかしてお花がやってきます。
が。
その後のケアやフォローができません。
だって知らないから、やり方を。
やろうという気持ちを持てないことも、いわば大切にするということを知らないから、です。
親が子どもの育て方、褒め方を知らないのは親自身の問題です。
子どもは褒めて育てるものだと思ってないから。
自分が褒められてないから。
してもらってないことはできません。
これがいわゆる、負の連鎖です。
でも、自分は大切にして貰えなかったから、せめて自分は自分の子どもを大切にしよう、と思える人もいます。
人にしてあげることによって、欲しかったものは得られたことになりますからね。
して貰えなかった、という穴ぼこは、それを子どもにすることによって埋められるのです。
もちろん、して貰えなかった、という痛みに蓋をせず、しっかりと感じ切ることは必須です(これをすっ飛ばす人が多いんだなー、困ったことに)。
親に手をかけて貰わないと生きていけない子どもが、肝心の親に手をかけて貰えない、向き合って貰えないとどうなるか。

https://twitter.com/ganbare_zinrui/status/892984353029988352
顔色伺いのプロになります。自分のWANTsやNEEDSに従うのではなくて、求められるものに応えることに一生懸命になってしまいます。
求められることに応えるならいざしも、求められてもいないのに求めてるかもと勝手に思い込んでやってしまう人も少なからず。
親にとって子は何か。
身も蓋もないですが、種の保存のために本能として子孫を残します。
そこに国の思惑がのっかってしまったのが明治政府時代の富国強兵うめよ増やせよ、ですよねー。
結婚するのが当たり前、子ども産むのは当たり前、私たちの親の世代まではそうだったでしょう。好きだから結婚する、一緒にいるための手段として結婚する、そして結婚=子どもを持つこと、ですらなくなってきました。
子はかすがい、と言うじゃないですか。
が、その「かすがい」の役割を自認してやってしまうとまたやばい。
親にとって子はなにか
それはどうでもいいことなのです。
親にとって自分はなにか
自分にとって親はなにか
親からどうされたら自分を認められたか
なぜ自分で自分を認められないのか
それは自分にとって大切な、大切な親から自分を認めてもらえなかったら
自分が望むようなやり方で親から向き合って貰えなかったから
それだけなのです。
褒めて欲しかったよね
丶(・ω・`) ヨシヨシ

鼻がとおるのはなぜ?


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