鬱屈精神科医、占いにすがる

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鬱屈精神科医、占いにすがる

鬱屈精神科医、占いにすがる

 

大好きな春日センセが占いについて書くなんて、これはもう読まなきゃ!でしょ。占いについてモヤモヤしてる気持ちをきっとスッキリさせてくれるに違いない!と、期待に(ない)胸をふくらませましたよっ。

占いが有効なツールであることは否定しません。が、依存者をたやすく生み出してしまう部分については首をかしげてしまい、全面的に頼ることを私に潔しとさせないのです。

コネクトロンにおける占いの扱い方

その依存させてしまう部分、それについて実に的確な記述がありましてね。

占いに頼る心性の根にあるのは「卑しさ」だと思う。自分が陥ってる苦境の理由を単純明快に説明してくれるのではないかという期待(もちろん自己責任なんか問われずに)、これからは今までの辛さや苦しさが嘘のように消失するどころか利子までついて運勢が盛り返すでしょうという託宣への期待、自分が貴種流離譚の主人公であるかのような絵解き、わたしが漠然と期待しているのはそのようなものなのである。素面では、そんなものを期待なんかできない。にもかかわらず、それを叶えてくれるかもしれないと期待させるあたりに、おそらく占いにまつわる「いかがわしさ」の原因の一端があるに違いない。

どうですか、膝の皿を割りませんか?あなたも実はこんなふうに思ってませんでしたか?

前半部分、ヘドバン並みのうなずきで読み進めました。占いに携わるもの、占いを頼る方、すべての必読書だよ、と。

が。

えー、これはですね、占いの本ではなくてですね、母親に認めて欲しかったのに認めて貰えなかった男の子の物語でありました。親が望む子を出来なかったことで、親が望むように自分を認めてくれなかったことで、60過ぎても自分を肯定できないおっちゃんの身の上話です。

母に受け入れてもらえない自分、というものをロジックで言い聞かせながらやり過ごしてきたのに、ここにきてそれが如何ともしがたくなった。ロジックでどうにもならないのだからロジック以外のものに活路を見出さなくてはならない。

それが「いかがわしい」占いだったのです。春日センセは占いに「救い」を求めたのです。

春日センセはどうしたら救われるのか。母から貰えなかった承認を得ることができたらですよね。今ある自分に肯定感を持てたら、ですよね。60歳から先の人生に希望を持てたら、ですよね。さー、そんなこと出来る占いあるのかな。

ああ、春日センセにコネクトロンに来て欲しいよ。

60すぎても欲しかった時に欲しかった人から欲しかったものが貰えなかった、という穴ぼこがあるのですよ。

あなたはいつ、どこで、誰から、どのように認めて欲しかったのか、どのように扱って貰えていたらよかったのか。見たくないと蓋をしてしまったものに向き合うのは楽しい作業ではありません。向き合わなくて済む手段として占いを選択されているのなら、それはあなたの穴ぼこを埋めることはしてくれません。違う蓋をするだけです。

穴の底に取り残されているちっちゃいちゃんを救うことはできません。どうか蓋をとっぱらって、声をあげているちっちゃいちゃんに手を差し伸べてあげてください。

最後までお読みくださりありがとうございました✨
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