「我慢できる」と「平気」は違う

みなさんご存知のように(知らんか)ウチにはテレビがありません。家にテレビがない私がテレビを見れる場所はどこかというと飲み屋です。あ、献血ルームもだ。

元町界隈の飲み屋など、JRAがありますからテレビは必須。競馬中継の際の店内の盛り上がり様ときたら!投票用紙と記入のための筆記用具も必須です。それを揃えておくことは店側の義務ですよっ。

いかん、いかん、飲み屋談義が続きそうになっています、目をさませ、私。

昨日、テレビを見ました(飲み屋で飲んでた、とほぼ同義語)。

とてもイヤな気持ちになる番組でした。なんの番組かはわからなかったですが、私が見た部分は犬の躾について、躾のプロという女性が視聴者からの相談に答えるというものでした。

掃除機をかける時に犬が騒いで困る、どうにかならんか、という相談でした。それに対し、躾のプロはとある技を披露するのですが、確かに犬は騒がなくなりました。なぜそれをすることによっておとなしくなるのか、という説明もあったのですが、それはそれで納得したのですが。

が。

おとなしくしている犬の様子がですね、完璧怖がってるんですよ。白目むいて、耳を倒して。

こわがってんじゃん!!

掃除機がイヤじゃなくなるんじゃなくて、無理矢理我慢させてんじゃん!!

ペットの犬は野生動物ではありませんので、人間との共生において受け入れなくてはならないルールがあります。人間との共生を選択せざるを得ないペットの犬は、人間から押し付けられたルールを受け入れざるを得ません。

押し付けた都合を受け入れたものに対して人はどうするか、「お利口さん」という称号を与えます。

賢いねー、掃除機かけてもおとなしくしていられていい子ねー

こわがっとるっちゅうねん!!!!

怖い時って本来は、怖いよー!と感情を出したくなります(怖すぎて固まっちゃうってのもありますが)。

大きな声を出す、暴れる、それは感情の発露です。それを出すことが出来ないなら、出してはいけないなら、必死で堪えることでしょう、声を出すことを、体を動かすことを。

それは感情を抑えるということと同じです。抑え続けられたものはどうなるか。出せなくなります、何を出したかったのかがわからなくなります。

自分の気持ちがなくなります。

怖がっている犬の気持ちに寄り添うことなく、(一見)おとなしく掃除機に耐えている犬に対して「おとなしくなったー!」と能天気に喜んでいる飼い主の姿が非常に暴力的に感じられました。

自分の都合で押し付けたルールを受け入れてくれる都合のいい存在、それをできる人がつまり「いい子ちゃん」なわけです。いい子ちゃんとは「都合のいい子ちゃん」です。自分を出すことがありません。

理不尽でもある相手の都合を受け入れることは「我慢」です。我慢はしないとたしかに共生できないかもしれません。でも心は「平気」じゃないんです。傷ついているんです。我慢しているという時点で、傷が発生しているのです。

相手を受け入れることと自分を出すこと、この2つの折り合いをつけることを人(犬さえも!)は常に求められています。それは確かに必要なことなのですが、自分に傷があることは忘れないでください。

あなたは平気じゃないんです、我慢しているだけなんです。

掃除機は自分に害を与えるものではない、とわかったら犬も平気になるでしょう。音は不愉快でしょうけれど。人間にとって掃除機は家をキレイにしてくれるものだから、騒音よりもキレイになることのメリットを受け取れます。でも犬にとっては音の怖さのほうが勝るわけです(当たり前)。でも躾という名の強制的な抑圧によって怖いという気持ちは封じ込められてしまいます。

いい子ちゃんがやってることはこれと同じです。

と言い切ってしまっては乱暴にすぎますか、そうですか。

子どもが言うことを聞かない、とお悩みのおかあさま方へ


最後までお読みくださりありがとうございました✨
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