いじめはなぜ無くならないか

こんにちは!テレワークの私ですよっ。徒歩5分の事務所にも滅多に行きません。おウチで文鳥さまの家族サービスに勤しんでいます。
外に出るにはマスクを、帰ってきたら手を洗わなくてはいけないと思うと、外出意欲が粉砕されます。いいことですね。
というわけで(どういう?)家にいるときはほとんどNHKラジオ聞いてます。
今朝も聞くとはなしに流していたら、小島慶子の談話が。ご自身が過去にいじめられていた事について語られていました。
いじめはなぜ無くならないか、というテーマのようで。なぜいじめられていた人も、自分がいじめられていた痛みを忘れていじめる方に回ってしまうのか。
いじめる側の強さが羨ましい的なことを言われ、お?とひっかかりました。
いじめの標的にならないために、いじめる側にまわるというのはよくある図式ですが、羨ましいってどういうこと?
いじめられるほうよりいじめるほうが強い、その強さが羨ましい(うーん、まだピンとこない)。
いじめていると安全だから
おお!これならわかる。いじめの標的にならないように、と同じですね。
攻撃は最大の防御。
やられる前にやってしまえ、は真理ですね。
ではなぜ、やられる前にやってしまえ、となるのか。
「やられる」という概念がない人はこんなこと思わないのですよ。
この時↓も思ったんですけど
http://connectron.love/archives/3633
借金というものを知らない人は、借金を恐れないのですよ。
被虐待児がDV夫とつながることが多いのは、被虐待児の世界には暴力があるからなのです。
虐待されたことがない人、暴力を知らない人の世界に暴力は存在しないのです。
これがネガなチェーンの仕組みです。
ものすごい暴力である必要はないのです。
ほんの少しの痛みでも同じです。
いえ、同じではありません(どっちやねん。
痛みと無縁の人ってそういないでしょう。生きてればなんやかんや痛みはあります。
大切なのは、痛みを感じたあと、傷ついたあとのケア。
傷ついた部分、傷が治れば触っても痛くありません。触られたらどうしよう、と怯える必要もありません。
怯えてしまうのは、傷が癒えていないから。
傷ついたあとがほったらかしだから。
ケアしてもらえるとわかっていたなら、傷つくことへの恐れもそうありません。
傷ついても大丈夫だ、ケアしてもらえる、と果敢に向かっていくことができます。
いじめっ子はケアをして貰えなかったシルシ、と言っては言い過ぎですか、そうですか。
もちろん、苛められるほうが悪い、などというつもりはありません。
傷ついてもケアしてもらえる、と安心できるものがあるなら、いじめは減るのでは?というのは理想郷にすぎますか、そうですか。

痛くない、痛くない、ではなくて、
痛かったよね、丶(・ω・`) ヨシヨシ

これが助けになることは少なくないと思うんだけどなー。
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