18年目の同情共感シンパシー

こんにちは (*゚▽゚)ノ
神戸元町コネクトロンのいまぷです。
ご訪問いただきありがとうございます。

今朝いつものように神社いったんですけど、あちこちから鐘の音が聞こえてきました。
時計を見たら5時45分。
そして鐘が鳴り終わった後、どこからかトランペットの音が。
まったく想定外に、その音が耳に訪れた途端、
うわああああああん、と声をあげて泣いてしまいましてね!!
傍らに居たよく会うおばちゃんが、うん、うん、わかった、わかった、
みたいに肩をポンポンしてくれて、
震災で身内が亡くなったとか悲しい思いしたのねこの子、みたいに思われたのでしょうか。
たいへん幸いなことに阪神大震災で身内や知人を失ったということはないのですが、
ま、あの地震のおかげで人生設計が多いに狂いました。
元配との道が別れ始めた最初のポイントだったのではないかと思ってます。
神社に毎朝参拝する、ってことをしてなかったら、このトランペットを聞くこともなかったと思うと、
通い始めて180日、この半年の間に気づかされたものの大きさを感じます。

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※再掲2度目。前回は『17年目の同情共感シンパシー』でした。

例え、その1。
ストーンズの名曲、「sympathy for the devil」は「悪魔を憐れむ歌」という邦題がついてます。

例え、その2。
香川リカが書いてたんですが、子育ての悩みを持ってきたクライアントさんに香山リカがなんか言ったら、
先生、子どもいないじゃないですか、子どもいないのに私の気持ちわかるわけないじゃないですか、って返されて、
子どもがいないと子育ての相談はしちゃいけないのか、社長の相談を受けるには企業経営者じゃないといけないのか、って
ブーブー文句たれてました。

例え、その3。
名バッターを指導するコーチが名バッターである必要はないですね。名選手が名監督になれるわけでもないし。

さて、震災18周年です。
被災者だ、と言うのは憚れるほどの被害しかありませんでしたが、私も一応被災者です。
それなりに人生設計が狂いました。

ひさびさに読み返した本。

心の傷を癒すということ―神戸…365日

心の傷を癒すということ―神戸…365日

実は、この著者とは軽く関わりました。関わった内容は重かったですが(どっちやねん。
関わりがあった当時は、わー、すごい精神科の先生だ、というくらいの認識しかなかったのですが、
自分が人の心と関わるようになった今読んでみると、以前には気づかなかった多くの教えがありました。

傷ついた被災者との関わりに悩む中、いかに相手の感情に寄りそうか、ということが繰り返しでてきます。
治療するとか教え諭すとかとんでもない、できることは吐き出された言葉に対して何も付け加えず、
とにかく耳を傾けるだけなのだ、と。
「わかって欲しい、耳を傾けて欲しい」という気持ちに心を寄せることなのだ、と。

受けとめるだけ、ただ見守るだけ、ってすんげー難しいです。
その不安をまぎらわせるために何かせずにいられないのではないか、と思うくらい。
つまり、自分のよるべなさを克服できるくらいの度量がないと、
受けとめること、見守るこって出来ないのでしょうね。

同情という言葉はすっかり=憐れみとなってますが、本来は「同じ感情を共有する」ことだったのではないでしょうか。
共有できないほどの重いものに対しては、自らの感情を優位に保つために上から目線をもつしかない。
それゆえに、同情=憐れみ になってしまったのではないかと。

まったく同じ感情をもつことなど不可能です。
たとえ同じ場にいたとしても、暮らす環境、育った環境によって受けとめ方が違います。

人に対してネガティブな感情を抱いた場合、主語を「自分」にしろ、と言われます。
たとえば子どものやんちゃに腹がたった場合は、いたずらばっかりして悪い子ね!と怒るのではなくて、
私はあなたのいたずらに腹がたつ!と言い替えるのです。
これによって相手をジャッジするのではなく、自分の感情に距離を置いて向き合うことができます。

しかし人の感情に向き合う場合は、この逆でないといけないのでは、と思わされました。
かわいそうだな、と感じてしまう相手の状況に対して、わたしはあなたが大変なんだと思う、ではなく、
あなたはとても大変なのね、と、相手の状況を客観的に見ることが必要なのではないかな、と。

あくまで相手の大変さに気持ちを寄せる。自分の感情を入れてはいけない。
ここで自分の気持ちを入れてしまうと、憐れみテイストが醸し出されるのでしょうね。
だって、いま大変の渦中にある人に、自分の感情まで押し付けてしまうわけですから。

難しい問題をもって来られたクライアントさんには、打つ手がなくて途方にくれる、ってこともあります。
そんな時、できることはクライアントさんの気持ちに寄り添うことだけ。
己の無力感と闘いつつ、耳を傾けるだけ。
相手と同じ辛さを味わうのではなく、辛さに立ち向かっている辛さ、とでもいうか、
そこを受けとめる覚悟というか、そこしか誠意を見せられる部分はないですね。

亡くなられた方のご冥福を、なんてことは言えません。
そんな自分のボキャブラリーに存在していない非日常的な言葉。
生き延びた方々、残された方々にこそ、寄り添いたいです。

助けられなかったことを責めなくていいよ、生き延びてしまったことに罪悪感を抱かなくていいよ、と。
逝った人の分も生きてくださいよ、と。

生かされているのは意味があるからだ、なんて手垢がつきまくった表現ですが、
えっと、どっかで読んだフレーズ、あなたが死にたいと思いながら生きているその1日は、
生きたいと思いながら死んでしまった人が生きたかった日なのだ、って。

震災後、生きていることに辛さを感じている方がいるなら、その気持ちに寄り添うことができたなら、と思っています。

※来年は19年目、として再掲する予定

最後まで読んでくださってありがとうございました。
またのお越しを心よりお待ち申し上げております <(_ _)>

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