近親憎悪としてのシャドー

はい、お父さんのことキライな人、手ぇあげてーっ。

はいっ、お母さんみたいになりたくないって思ってる人、手ぇあげてーっっ。

はい、お父さんに似てる自分がイヤだって思ってる人、手ぇあげ(ry。

はいっ、お前はお母さんにソックリだとか言われてウンザリしてる人、手ぇ(ry。

おめでとう(めでたいのか?)、シャドー検定1級認定ですよ!!
お父さんみたいな人、お母さんみたいな人、どんどん引寄せちゃいますよー。
お父さんと自分、お母さんと自分みたいな関係性、誰とでもやっちゃいますよー。

こちらの本に目を引く記述が

そう古い事件ではないので記憶にある方もいらっしゃるかと思いますが、部落差別自作自演事件です。
部落民が自分あてに差別ハガキを出し続け、同胞に迷惑かけまくった、ってものです。
一体なんのために?と首をかしげてしまうものです。
たしかに動機らしきものはあるのですが、その手段としてなんで自作自演?ってのがたいへん不可解。

 

犯人は部落民でした、差別がいやで部落外の女性と結婚した際に姓を女性の姓に変えました。
ということは、ハタからは部落民であるとはわからなくなるはず。
なのに、彼は部落内に居住し続け、なおかつ部落民ゆえの優遇も受け取っていた。
差別される代償(?)としての優遇を受けるなら、改姓の必要はなかったはず。
おまけに、自作自演ハガキを出し始めてからは、家族もひっぱりだして
差別する奴は許さない!と糾弾の最前線に立たせたのです。
差別されたいの?されたくないの?どっちなの?

犯人であると発覚してから、ともに差別と闘ってきた同胞たちにも苛立が。
だからお前は何がしたいねん、と。
納得のいく答えは帰ってきません、それどころか謝罪の言葉もありません。
業を煮やした人から投げかけられた言葉

あなたは、ひょっとして解放運動ば憎んどるっちゃないの。
なぜかっていうと、あなたは結婚差別をうけたあとで、
もとの姓からいまの姓にかえたわけでしょう。
生まれてくる子どものため、家族のため、とあなたは言うけど、
ほんとのとこはどうなんですか

ここで、犯人の中にある差別意識にスポットがあてられました。
差別に傷ついた犯人、じゃあ傷つかないように差別を無くそう、とするのではなく
差別を憎み、差別されている人を憎み、自分以外の(ここ、重要!)
差別されている人たちを傷つけるために自作自演ハガキを送り続ける。

差別とは、自分を他者より優位に置こうとする行動ですからね。

で、同病相哀れむではなくて、同病ゆえに憎し、となったのですね。

この犯人にとって、同じムラの住民はシャドーです。
自分の中に存在することが受け容れがたい部落の血。
差別に対して力強く闘っていける人たち。
自分にはないその強さへの負い目。

犯人は、部落の外に出て行く事が怖かった、といいます。差別されたらどうしよう、と。
でも姓は変えた、部落に住み続けている、この矛盾だらけのとこが切っても切れないシャドーなわけです。

彼はどうすればよかったのか。
姓を変えたくらいなら、素知らぬ顔で外の世界で暮らせたらよかったのに。
逃げた、とそしられることになったとしても。
逃げきることも、覚悟を決めて居続けることもできなかった。
外の世界の差別とムラの中からの糾弾、どちらをも恐れて動けなくなってしまっていたのかな。

さ、あなたがシャドーに悩まされずに済むためにするべきこと。
シャドーの素から植え付けられた傷は、なんらあなたの価値を損ねるものではない、
と認めることです。
シャドーから傷つけられたパートを、ヨシヨシしてあげることですよ。

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