いい年してお父さんとお風呂にはいってる、って娘さんいるじゃないですか。
年ごろの娘が異性に裸をさらすことに抵抗を感じさせないようにさせてしまっているのって
いわば虐待と同じだ、って指摘をしてる人がいました。
ま、アメリカで子どもを1人で放置してたら虐待扱いになるのと同じようなもんか(同じなのか?
暴力ふるわれるだけが虐待じゃないです。
ネグレクトなんかまだわかりやすいほうですよね。
その人が持ってるものを発揮させない、押し殺してしまっている、というのが虐待の一部であるならば、
過干渉ってのは立派な虐待です。
親が自身の価値観を子どもに押し付ける事に対して、おかあさんは私のことを思ってやってくれているんだから、
と、自分を言い聞かせている人の多いことよ。
思ってない、思ってない、「〜のために」という黄門さまの印籠をかかげてやることって、
ほぼ、自分のため、に言い替えることが出来ますから。
子どものためを思ってやっている、という親のエゴを満たすことがメインの目的ですから。
たとえ無意識だったとしても。
岡亜算(byことえり)となんやかんやあった知人がですね、丘阿酸(byことえり)が亡くなった時に
絞り出すように言いましたよ、
おかあさんがなんでもかんでも決めてきたから、おかあさんが居なくなったら私ひとりでなんもでけへんやんか!
自分でなんも決められへん人間になってしもうたやんか!!って。
うわー、まるで小説の台詞みたいやな、と思った私を許してください。
この時はじめて、ああ、これが過干渉のなせるわざなのか、と知りましたね。
暴力ふるわれてるわけじゃなし、貧乏なわけでもない、傍目には何の問題もない家族に見えても
そこには有無をいわせぬ親のコントロールが存在しがちだったりします。
過干渉、親が敷いたレール以外を進むことは許さないぞ、という無言の圧力。
真綿で首をしめられてるのと同じですよ。
何がやりたいかわからない病の方、
言いたいことが言えない病の方、
真綿で首をしめられ続けていた、ってことがすんごい多いです。
親が作った枠にガッツリと自分を押し込めていらっしゃいます。
パワーの強い方は抑圧されたエネルギーが大きいから、
いろんなトラブル引寄せますし、アトピーやアレルギーの方もすごい多いです。
現在の自分の価値観のほとんどをしめているのが親の価値観ならば、
それを否定するのはたいへん辛いことです。
だって、自分のガン否定になっちゃうから。
でもそれを否定しないと、本当の自分は出て来れないんですよ。
いつまでも真綿で首をしめられ続けますか?
いつまでもカゴの鳥でいますか?
親は先に居なくなってしまいます。
カゴの鳥にエサを与えてくれる人は居なくなってしまうのですよ。
そうなる前に、自らカゴを出て行きましょう。
首にまとわりついている真綿をとっぱらってしまいましょう。
お手伝いさせていただきます。