はい、ではまたここんとこ続いた似たような事例です。
いかに抑圧されていたか、ということを探りにいったら返ってくるフレーズ:
好きなことやってきたから
やりたいことやってきたから
ワガママしてきたから
勝手な人生おくってきたから、等々。
私はやりたいことやってきたから抑圧なんてないんです、ということらしいです。
えーと、ほんとにやりたいことやってますか?
やりたいことやってないんですよ、やってるのは、親が望むことはやってない、なんです。
親が望むことをやっていない=自分がやりたいことをやっている、と大いなる勘違いとなっているのです。
目的は親の思い通りにはならないぞ、ということなのでその目的は果たせています。親の望む事はやっていないので。で、そこにセットになっているのは『親の思うような子になれなかったダメな自分』なんです。
ありがちなのは、親の思い通りの子どもをやってしまってる人、なんですが、これは抑圧されてるって自覚があるからいいんですよ。やりたいことあったけど、できなかった、親の敷いたレールを進むしかなかった、って文句があります。
しかし。
親の望み通りの子をしないぞ、という意欲だけを貫いてとにかく親の意向に反することをやることに一生懸命な方は、自分のやってることがやりたいことなんだ、って誤解もはなはだしい。
親の望む道を進んだ方は、やりたいことは出来てなかったという欠落はありますが、親の要求は満たしていられるので、役割を果たせている、という充足感はあるのです。
しかし。
親の意向に沿わないことだけを目標にされた方は、やりたいこともできてない、親の思う子にもなれなかったという罪悪感、この2つの重荷がセットになっていて余計にしんどいんですよねー。
あなたの口から出てくる言葉に、私は好き勝手やらせてもらったから、というのは無いですか?あなたが本当にやりたいことにたどり着けていない怖れ、極大です。
鬱憤晴らしにやってしまったことではなくて、心が本当に喜ぶこと、その正体は一体なんだったのか、今からでもそれを見極めてください。お手伝いさせていただきます。