やるせなく

恒例(恒例なのか?)あえて読みにくくしているつぶやきシリーズです。

みなさんご存知のように(知らんか)iMacの基盤がふっとんでいまだ修理中で、使ってなかったMacBookを引っ張り出してるわけですが、今はブラウザはChrome使ってるんですけど以前はSafariだったのですよね。で、MacBook引っ張り出してもSafariは触ってなかったんですが、Safariでしか出来ないことがあったんでヒサシぶりに触ったんですよね。残されてるブックマークをみて、フタして見ないようにしてたものを目の前に突きつけられたような感じになりました。みなさんご存(ry)、今の仕事をせざるを得なくなった時に、この人たちの役に立てないようならやってる意味がない、この人たちの役に立てるようにならなくては、と肝に命じさせられた人が2人オリまして、AさんとBさんとしましょう、Aさんはかつて私が耽溺していたポストペットで私を見つけてくれたのです。当時私が作っていたHPをみて声をかけてくれたのです。うん、あのHPがきっかけでいまだ繋がれてる人もいるしな、今を思えばあれは大切な存在であった。Aさんは保険屋さんの難物件リストの間違いなく5指にはいるどえらい事故に会われて以来、後遺症でずっと苦しまれています。向き合わされているものの大きさ、どこからか蜘蛛の糸がたれさがってくるかもしれないということに一縷の望みを託して絶望と戦っている姿は、見ているしかできない辛さをつきつけられるものでありました。Aさんのことについてキューピーさんに尋ねたのがこちら。
http://connectron.love/archives/1891
このAさんのサイトがブックマークに残されてたんです。超ヒサシぶりにのぞきました、サイトが最後に更新されたのは2007年の8月。掲示板にはAさんを心配する人たちからのメッセージが書き込まれていましたがAさんがそれにレスをすることもなくなって、掲示板の最終書き込みは今年の1月でした。連絡がとれないので私も何度かその掲示板に書き込みましたが音沙汰なし。生きてるのか死んじゃったのかわかりません。心配していたつもりでAさんのことをすっかり忘れてしまっていたことを思い知らされ、あー、私って口ばっかりだな、と凹みました。以前の私はAさんに対して何もできませんでした。今だって何もできないでしょう。身体の痛みを除去できない限り、Aさんは救われることがないでしょうから。気休めなんてほんと気休めでしかないのです。そしてBさん、AさんについてもBさんについても同じこと書いてましたわ、http://d.hatena.ne.jp/connectronkobe/20140627/1403848405、ちょっとー、これって1年前か、1年前からちっとも前に進めてないような気がしますよ!でも今のタイミングでこのエントリーを目にしたってことはなんか意味があるんだろうな。で、Bさんですよ、私がこの仕事始めたことで私に距離をとられたようで、なんでかと言うと私がBさんの傷に触れてしまうからなんですよね。Bさんが必死でフタしてるものを私がこじ開けようとする。もちろん私はどうにかしないと、と思ってなんですが、Bさんにとってそれは必要ないのです。Bさんにとって私は「友だち」であればいいのです。それ以上の機能は必要ないのですよ。っつか、それ以上の機能を持ってしまうと友だちでいられなくなる。うん、うん、それはよーくわかります。でも私は見ていて辛いのです。そ、人が人の心配をするのは自分の心配を消すためなんですよね。
http://connectron.love/archives/2759
そして人の問題に目を向けちゃうのは自分の問題から目をそらすためでもある。タイムラインで姿を現すちっちゃいちゃん、どなたのちっちゃいちゃんもいじらしくてせつないです。姿を現してくれるならまだしも、多分いるんだろうな、と感じながらもどうにもできないときのやるせなさ、無力感ときたら。自分が絶対にどうにかしようなんておこがましい、この無力感こそが切り捨ててはいけない自分の中の大切なパートなのかな、と思わされたのでありました。AさんもBさんも、つけあがんなよ!って私を戒めてくれてる存在なのかもしれません。 

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