はい、まずは復習を。
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手は2本しかありません(1本しか無い人かっておるで、とか、3本の人かっておるで、というのはちょっと置いといてください)。
手を掴んで繋がれるのは2人までなんですよ。
家族、世帯の基本は夫婦です。
1という家庭があります。
子どもが産まれます。
1’という家庭になります。
子どもがそれぞれパートナー(配偶者)を得ます。
1、2、3、4という家庭ができます。
子どもであった者の新たな港は2か3か4です。1ではないのです。
子1の2本の手は、本来はパートナーと自分の子どもに向かって差し出されるべきものなのです(子どもが2人も3人もいるときはどうすんだよ、って突っ込みはここではなさらないでください)。
子1の手が自分の親である1段階から離れていないと、子1は自分のパートナーや孫である子とちゃんと繋がることができないのです。
するとどうなるか、Pや孫1は祖母である妻と子1の手を取り合うこととなります。端っから勝負をあきらめる方もいるでしょうけど、どうにかして子1の目を自分に向けさせるか、と必死になられることもあります。それが孫ならば尚更のこと。
あー、わかりにくいな。書き直します。
Cの手はパートナーのCPと子であるCCと繋がれなくてはなりません。なのにCが親であるAやBに気が取られてしまっていると、CPとCCはCと繋がれているという確信が持てないのです。不安なのです。CとCPの港は安心できる場ではないのです。
これがエディプスです。
でね、このエディプスを扱ってサイコロ振ったら、山沢損ばかり爻を変えて出るのですよ。
もとい、山沢損ばかり出るので、なんだ、これ?と思って、ああ、そうか、これがエディプスか!と気づかされたわけです。
生き物ってのは本来は子を残したら自分の役割は終えるものですが、次の世代が生まれた後も長々と生きながらえているから家族関係がややこしくなってしまったのでしょうね。祖父母という存在があるのは人間だけだったらしいですから(だった、というのは、最近はサルやチンパンジーにも祖父母が現れているらしいので)。
依存の時期をちゃんと出来てないってのは、ほんっと後をひきますね。依存の時期に本来依存すべき人に依存させて貰えなかったという穴ぼこが、相互依存のステージへとシフトすることをいつまでも妨げているのです。
繋がっていたい手を無理矢理引き離すことは出来ないでしょう。そ、繋がっていたかったよね、とヨシヨシしてくださいね。依存したかったよね、と。依存させてもらいたかったよね、と。
そうしてやっと、あなたの2本の手はパートナーや子と繋がることが出来るのです。港はその機能をちゃんと果たすようになるのです。
あなたの手、誰と繋がっていますか?ほんとは誰と繋がりたかったですか?