ハードディスクの中身を整理していたら、懐かしいものがいろいろ出て来たので過去のアメブロ再掲シリーズ(手抜きともいう)です。
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コアトラ、ちょっとご無沙汰です。
◯コアトラってなあに?という方はこちら:恥ずかしいけど告白しちゃいます
以下、アメブロ再掲部。
押しつけコアトラでした。根っこになっている具体的なものを出しにくいようでしたので、じゃあ、コアトラで、と。
ここんとこ、コアトラを希望して来られても、お話してみてコアトラじゃないほうがいいよね、というケースが続いていました。じゃあ、どんな場合にはコアトラがいいですよ、っておススメできるのか、それが見えなくなっていました。正直なとこコアトラはやるほうもしんどいので、通常セッションで済ませてしまいたいという気持ちがあったかもしれません(スイマセン、スイマセン)。
2回目のセッションでした。1回目も出し切ることへのものすごい抵抗があったので、完了したとはもちろん思っていませんでした。出さずにいい方向に持って行くとなると、やはりコアトラです。
コアトラって何するの?通常セッションとどう違うの?と疑問に思われている方も多いので、いただいた感想、ほぼそのままアップさせていただきます(おもしろかったし。
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今庄様
大丈夫。しょうゆ餅、またお持ちしますからね。その日のうちに、が基本のおもちなのであまり数を持っていかなかったのですが高校生の食欲なめてましたね。今度は山盛り持っていきます。私の中の三大餡子は「たねや しょうゆ餅」「満月 阿闍梨餅」そして「ふたば 豆大福」・・・まだ食べた事ないんです。ふたば。それはそれはうまいそうですよ。
デトロイトメタルシティ+「甘い」=パーフリ、カジヒデキ
この式がさっと浮かぶ50ちゃい女子が今庄さん以外にいるかな・・・。かっこよすぎですよ、マジで。反則やと思う。
コアトラの感想です。クソ長い感想ですみません。後の方は余談なので、お時間ない場合は読み飛ばしてくださいね!
やっぱり長い時間かかってしまいましたね・・・ちーん。「コアトラやってみよか」と言われた瞬間「・・・本気ですか?」と思いました。そういう顔、してましたよね私?(半目出てました。)「それってすごい賭けじゃない?絶対めちゃくちゃ時間かかるよ、私!!」と内心思いました。ええ、思いましたとも。コアステートに辿り着ける自信は1ミクロンもありませんでしたし。
始める前に「きっといい経験になるさ」と呟いたのは、「失敗は成果(byハヤブサ・・・?)」と思いたかったからかも。
始めてみて、案の定の迷走ぶり。「どうなるんやろ。私どっちに進んで行ってるんやろ。」って完全ロストです。お店に入ったのに何食べたいのかようわからん、ていう感覚にとてもよく似てました。欲しいものがわからない。
ぐるぐるぐるぐる回れるだけ回って、辿り着いたコアステートは「愛情」。
「あなたの骨組は”愛情”ですよ」と言われて、浮かんだのは「あぁ確かにそれでつじつまが合う」という感想でした。悔んでばっかりだった昔の出来事の根元にも、実は愛情がちゃんとあったんだ。一見失敗や間違いに見えても、その時の自分の言葉、行動の根っこには純粋な愛情があったんだと思ったら、不思議と自分を少し許せる気がしました。
過去が重たいな、と感じていました。後悔しては「なんで?」と自問自答→自責の繰り返し。そういう作業に抜け道も救いもあるわけはなく、堂々巡りの自分いじめです。人に相談しても、自分が悔んでいる具体的な出来事を話せるわけではないからやっぱり、みんな口を揃えて「(過去は)忘れられなくてもいいけど、受け入れろ。」と言いました。
だけどその「受け入れる」って意味がずっと判りませんでした。私だって受け入れたい。学びだったんだ、意味のある出来事だったんだと思えたら楽なのになー、と思っていましたが、受け入れ方が皆目判らなかった。
でも、その「受け入れる」とっかかりを今日のコアトラでもらえた気がします。起こった出来事は変わらない。変えられない。でも私がそこから得る感情は変えられる。今まで感じていた感情は、過去のものだから過去においてくればいい。そしてたった今から私が感じる感情は、変えられる。だったら、不快な感情は少しずつでもきっと減らしていけるはず。「根っこは全部、愛情だったんだ」と思えば、減らしていける。そう信じてみようと思います。
今、頭を昔の記憶がよぎると、まだ少し胸がきりりと痛いです。でも確実に、今庄さんに初めてお会いした時より痛みは軽くなっています。明日はもっと軽くなっていてほしい。そしていつかは、忘れられないまでも「滅多に思い出す事もない、遠い記憶」になってほしいと思います。
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コア・ステート、ステート=状態、モノではなく状態なのです。愛情は状態ではないので、ほんとは「愛」に持って行きたかったのです。愛情も愛も似たようなもんだろ、と思われるかもしれませんが、違うのです。愛情は与えてくれる人が必要だし、与える相手が必要です。自分が「愛」そのものである、と感じられることがコア・ステートなのです。「愛情」という言葉は早々に出て来たのですが、これはちゃうやろ、と思ってしつこく続けました。でも、何度いきつめぐりつをしても、出て来るのは「愛情」なのです。愛情をつなぐ関係性が必要なのだな、と理解しました。その関係性から自由になることができたら、その時は「愛情」ではなく「愛」が出て来ることでしょう。
過去は忘れなくていいのです。していただきたいことはただひとつ、過去に傷ついたご自分を癒すこと、ヨシヨシすること。ほんと、これだけなんですよ。そのために、ジャミラを抱っこしていただきたいのです。傷ついていた自分のために涙を流していただきたいのです。
今回、ジャミラタイムなしてコアトラだけでした。なので、落涙には至りませんでした。はい、やっぱコアトラだけでは泣かないのですよ。コア・ステートという至福体験はできますが、傷は完全に癒えてません。向き合うという作業は、はずせませんわー。向き合わないということはつまり、その存在にフタをしているということですから。フタをされたパートは、いつまでも文句を言って後ろ髪をひっぱることとなります。
ハタからすると、さっさと楽になればいいのに、と思っちゃうんですが、鎧ぬぐ覚悟も必要ですよね。カサブタが乾いて自然に剥がれ落ちるのを、じっくり待つとしましょう。
ヨシヨシ。
愛しているよ。
生まれてきてくれて、ありがとう。
ほんとに、ありがとう。
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