童話:アメフラシ

安保法案が可決された平成のある時、あるところに「アメフラシ」と呼ばれている少女がいました。

少女は雨を降らせることが出来るのです。

もとい。

少女が来ると雨が降るのです。

水不足で困っている農家の方には少女の存在は喜ばれましたが、運動会とか遠足を雨によって中止されてしまった子どもたちは少女のことを嫌っていました。

運動会や遠足は少女が参加するはずだったものです、つまり少女は運動会や遠足の楽しさを味わったことがないのです。

雨を降らせる少女のことを、人々は「アメフラシ」と呼び忌み嫌うようになりました。

少女はアメフラシなどと呼ばれて悲しかったです。

その悲しさをおかあさんに訴えました、涙をこらえながら。

おかあさん、私、アメフラシっていわれるの、私が来ると雨が降るから、ってみんなに嫌がられるの

ダイジョブ、ダイジョブ、そんなのキニシナイ、キニシナイ!

おかあさんは超ポジティブです、おかあさんと話すと涙がとまります。

こんなの平気なんだ、泣くほどの事じゃないんだ、と思えます。

涙を止めてくれるおかあさんってすごい!!

私が生まれた時も台風で大雨だったそうです。

そして遠足や運動会、楽しみにしている行事の時も必ず雨が降りました。

私が雨を降らせるせいで困っている人もいっぱいいるし、私自身も楽しくない、私の人生に楽しいことなんてないんだ、ってあきらめてしまってます、どうして私はアメフラシなんかになってしまったんだろう。

今年の運動会もどうせ私が雨ふらせてダメになっちゃうんだろうな、と悲しい思いで歩いていますと声をかけられました。


どないしたんや、ねえちゃん、暗い顔して!

う、うさぎ?ピ、ピンクのうさぎ??

ワイはな、ジャミラウサギいうねん、若い女の子たちからはジャミたん、って呼ばれてんねんで(照)。あんたもよかったらジャミたんって呼んでな!

ジャミたん、私ね、アメフラシっていわれて嫌がられてるの

ほぉ、いわゆる雨女やな、旱魃の時には世界中から雨女、雨男を集合させろ、て言う人もおるくらいやからそのパワーはすごいもんやろな

雨が降って欲しい時にだけ降らせられるのならいいけど、降ってもらっては困る時に降らせてしまうからイヤがられるの

どうせ降るやろな、と思うてたらやっぱり降った、ってことも多いんとちゃうか?

そう、そうなのよ、ジャミたん、よくわかるね

こう見えても(どう?)ワイはいろんな人の相談に乗っとるさかいな、悩み事いうんはだいたいのパターンがあるんや

そうかなー、私の悩みなんてすごい特殊だと思うわ、生まれついてのアメフラシなんてそう居ないでしょ

生まれつきなんや!

そう、私が生まれた時も台風で雨がすごかったんですって

それ、誰から聞いたんや

おかあさん、そして雨が降るたびに、やっぱりね、あなたは雨を降らせるからね、って言うの

うーん、おかあさんからそないに言われてあんたはどうなってもうた?

雨が降ったら、やっぱり私のせいなんだ、って思っちゃうようになったよ

雨が降ることでどんなデメリットがある?

楽しみにしてた遠足が中止になってがっかりしちゃう、リレーでアンカーするはずだった運動会が中止になって力を発揮する機会をなくしちゃった

力、発揮したことないんか?

ない、そう、雨が降る時っていつも「よし、頑張るぞ!」って思ってる時ばかりよ

じゃあ、力を発揮できたことないんやな?

うん、無いよ、物の見事にないよ

出来た!やったー!って達成感を味わったこともないんやな?

うん、無いよ、チャンスがあっても、どうせ、って思うようになっちゃった

頑張ろうと思うてる時に雨ふったら悔しいわな

うん、悔しい

それ、おかあさんに言うたことあるか?

悔しくて落ち込んでるんだけどね、おかあさんに言うと、キニシナイ、キニシナイ、って言われるの、そしたら、ま、いいか、って思って元気になれるの、おかあさんすごいんだよ、涙を止めてくれるの

んー、あんたちゃんと泣いたことないんと違うか?

うん、泣かないよ、だっておかあさんが涙を止めてくれるもの

おかあさん、あんたの気持ちにとことん向きあってくれたことあるか?

んー、言われてみればないかも

キニシナイ、キニシナイ、で終わらされてまうやろ?

うん、キニシナイって言われたらもうその後なにも言えなくなっちゃう

泣くこともでけへんやろ

うん、出来ない、泣かない

降ってくる雨はな、あんたの涙や、たまりにたまって目から流せない涙が空から降ってくるんや

私の涙、そんなに溜ってるの????

そうや、運動会が中止になった時、遠足が中止になった時、うわーん、って泣きたかったやろ、おかあさんに「せっかく楽しみにしてたのに中止になって残念だったね」って言って欲しかったやろ

うん、おかあさん絶対に言ってくれなかった、キニシナイ、キニシナイ、しか言ってくれなかった

おかあさんはあんたのために言うてくれたころやろうけど、向きあってもらわれへんかったって寂しさがずーっとあったやろうな

うん、なんか適当に流されたってカンジはあった

ちゃんと涙を流すことがでけへんかったから、悲しい、悔しい、という涙を流すきっかけになる出来事をひっぱってくるために、あんたはわざわざ雨を降らせとったんや

じゃあ、私が生まれた時に台風だったっていうのも何か意味があるの?

そこまではわかれへん、でもたまたま生まれた時に大雨やったという偶然を、おかあさんはその後「あんたのせいで雨が降る」いう必然に変えてもうたんやな、これをビリーフていうんやで、私のせいで雨が降る、ってな

ビリーフってそんなすごい力があるんだ!

そうやで、ビリーフいうんは言わばドラマのシナリオや、シナリオの通りにドラマは進行するし役者さんは演技をするやろ?あんたはおかあさんというシナリオライターからアメフラシいう役を与えられた役者さんやったわけや

そんな役はイヤ!

せやろ、だったらこれからは晴れ女の役をやったらええんや

どうやって?

アメフラシは本来の自分の姿ではない、あくまでおかあさんから強いられた役割だった、おかあさんの「せい」でアメフラシやってしまってた、おかあさんが自分に向きあってくれへんかった「せい」や、と認めることや

おかあさんの「せい」って言うの、なんかおかあさんがカワイソウ

「せい」て言うんは、おかあさんを責めることとは違うんやで、私なんかどうせアメフラシだから、と自分を責めることから自分を解放することなんや、いつまでもアメフラシはイヤやろ?

うん、イヤ!私が自分のことをアメフラシだと思ってしまったのはおかあさんの「せい」!!私の「せい」じゃない!!!

自分のせいやない、と思えたら、おかあさんが心配してキニシナイ、キニシナイ、て言うてくれたことのありがたさが逆に受け取れるようになるんやで

うん

でもな、あんたに本当に必要やったのはキニシナイ、キニシナイ、やのうて「雨が降って嫌だったよね」なんや

うん、ずーっとイヤだった、アメフラシって言われるのもイヤだったけど、力いっぱい走れなかったのが悔しかった、遠足の想い出がないのもさびしかった

悔しかったんやで、寂しかったんやで、それちっちゃいアメフラシちゃんにいっぱい言うてやってな、アメフラシちゃん、もう雨降らせんでええんや、って安心できるわ

そうか、アメフラシちゃんもカワイソウだったんだ

そうや、雨は必要な時に必要なだけ降ってくれたらええんや、涙は悲しみを流すためにあるんやで、溜め込まずにちゃんと流してな

うん、これからはそうする!

実際にあったご相談をアレンジいたしました。雨を降らせるなんてそんなこと果たして出来るものなのか、とも思いましたが、人は自分が持ってるビリーフの通りに世界を作ってしまっているという数多の事実から鑑みると、雨が降るのがビリーフのなせるわざであっても不思議じゃないですよね。

人には雨を降らせる力すらあるのだ、ということを教えられました。雨女、雨男のみなさん、みなさんが雨を降らせることにはきっと2次利得があるのでしょう。それはきっと、晴れていて得られる喜びよりも、降ることによって感じる失望感のほうが大切だ、ってことなのかもしれませんよ。

最後までお読みくださりありがとうございました✨
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