これ⬇︎の続き
選んで生まれてきた、と言われてもっとも歯向かいたくなるのは、その親を選んで生まれてきた、ではないでしょうか。虐待されて死んだ子供に対してそんなこと言えるのか?と噛み付いていた人がいました。
選んで生まれてきた、あきらめるための因果を含める言い聞かせにしか聞こえませんよね。
「選んで生まれて来た」は今回初めて言われたことではなくて、
小さい頃、いつ誰に だったか 本当に言われたのかも確信が持てない のですが、
『自分が選んで生まれて来た事(人間関係も大変な出来事も)』と言われて
辛さや不満や全て 口に出せなくなりました。
その後 「何故こんなに 薬も有るか無いかの病気をして、絶望して、それが奇跡の様に回復する を繰り返すのか?(同じ病の繰り返しではなくて) こんな事まで選んで来た? これにどんな意味が有るの?」とぶり返し「お前が 選んで来た課題をやらないから、繰り返すし、ドンドン辛さが大きくなる」と言われ(誰に?)黙って聞いたけど、「課題なんてわからん、良い子になる事?」と思って来たのかなぁ
今回「見える人」に言われ、棘が刺さったままの自分に気付きました。
何故 棘 と感じているか?
受け入れられないから。
何故?
腑に落ちないから。理不尽に感じるから。
「見える人」の『貴方にもこういう事だったのね、とわかる時が来ると願ってます』に
「わかっているなら、今わかる様に教えてよ」と思ってしまいました。
友人は「○○はそういう言い方するんだよねー」と流しました、私もそう言う反応をしたかったと思いました。
けろきち 拝
今回のけろきちさんのメール、最後の1文、「私もそういう反応をしたかった」のはなぜか、お友達は軽く受け取れるのに、けろきちさんは出来なかった。それは、過去の楔が悪さをしているのではなくて、お友達よりけろきちさんのほうが艱難辛苦度合いが強いから。
じゃないですか?
お友達と辛さを共有できていたなら、けろきちさんも流せたことでしょう。
あ、もとい。
艱難辛苦の度合いではなくて、それによって感じる辛さの度合いですよね。
同じ艱難辛苦でも、人によって感じ方は違うでしょうから。
お友達の艱難辛苦は、流せるくらいだったのですよ。
もとい。
お友達が艱難辛苦によって受けたダメージは、流せる程度のものだったのですよ。
けろきちさんが受けた傷は、そんな言い聞かせで騙されるようなものではなかったということですよ。
教えてよ!
その言葉、私も何度見える人たちに投げかけたことか。
かつてはACと呼ばれていたものが、トラウマサバイバーとその名を変えました。
サバイバーということは、行き延びた人、ということ。
死んでしまってたらその言葉は他者には届きません。
生きているからこそ、生き延びるために体験したことが苦悩のトンネルの中にいる人たちにトンネルの出口を示す灯の役割を果たせるわけです。
言い聞かせを受け入れることができる「わかった人」たちにも、かつてはわかってなかった時代があったはずなのに、わかることができない辛さ、もどかしさをわかってくれないのですよねー。
それが私が一番イライラするとこなんです。
なんで生まれた時からわかってたようなモノの言い方するんじゃー!と。
そうだよね、わかんないよね、の一言があってもええんちゃうかい!といつもプンスカしてます。
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