ほんとに最終回〜それを選んで生まれてきた

これ⬇︎の続き

http://connectron.love/20180126-1516925587/

このツイートがちょっと衝撃でしてね!
f:id:connectronkobe:20180424134739p:image
https://twitter.com/michinara3/status/987415096824508416
奈良美智のように大メジャーな存在の方でさえこんなこと思ってるなんて!

こんな=いじけてしまいたくなる程に羨ましい

「要領が良い」ということは、エネルギー効率がいいということで、そらー悪いことじゃないんでしょうけれど。

ど。

要領の良さ「だけ」に重きを置かれてしまいがちな風潮、要領の良さを競うことが多数派であることに、「要領の悪い」派は「なんだかねー」感を抱いてしまっているのではないでしょうか。

だって、それは「要領がいい」というスキルであって、要領よくなにをしたか、の「なに」の部分は二の次になってしまっているから。

「なに」が本来の目的であって、要領は手段の一部です。

その手段だけに着目されてしまうと、それはその手段のスキルアップというセミナーが大繁盛するのであって、「なに」をレベルアップすることとは似て非なるものじゃないでしょうか。

要領は必要なんですけど、「なにか」を持っている人たちが「要領」というスキルがないばかりに日の目を見ることが出来ていないということが多すぎやしませんか。

そしてお約束通り、要領スキルのない人たちは自分を責めるのです。自分がもっている「なにか」を貶めるのです。

さて、もいっこ目をひいたツイート。
f:id:connectronkobe:20180424134806p:image
https://twitter.com/a_iijimaa1/status/987458718630477824
f:id:connectronkobe:20180424134829p:image
https://twitter.com/a_iijimaa1/status/987459583844085760

自己責任論の対局にある考えではないでしょうか。これは実に腑に落ちました。

自己責任論=要領のよさスキルの世界

みなさんご存知のように(知らんか)とにかく私は自己責任論が嫌いなのですが。

いえ、嫌いではありません(どっちやねん。

自己責任論を声高に訴え、弱きを切り捨てる奴ら(奴ら、て!)が嫌いなのです。あんたら(あんた、て!)自分が困ったときに誰からも助けてもらわんつもりか!と。

自己責任論の最たるものといえば、「それを選んで生まれてきた」ですね。

さ、未完の連載のいよいよ最終回ですよー。

モッピーちゃん、家族の中で理不尽な扱いを受けていました。そしてそこから逃げることもなく、すべてを引き受けていました。なぜ彼女がそれを引き受けなくてはいけないのか、なぜ家族はモッピーちゃんにそれを押し付けたのか。さっぱりわかりません。

モッピーちゃんは粛々とその役割を(どの?)引き受けていたのです。

モッピーちゃんがコネクトロンにお越し下さった当初、問題はいつも「出る杭は打たれる」でした。だってモッピーちゃん、優秀だから。どこに行っても何をやっても出来てしまうのですよ。そしてシモジモに足を引っ張られるのです。

自己評価を高めてどんぐりの背比べから抜け出れば、出る杭は打たれる状態というのはわりとたやすく解消されるのですが。

が。

モッピーちゃんの生活のアップダウンはなかなか安定しません。

そうこうしてるうちに、お父様が闘病の末逝去されました。最後までおとうさまのお世話をしていたのもモッピーちゃん。そしてモッピーちゃんは、お父様のお仕事を継ぐこととなりました。誰の強制でもなく、自らそれを選択されたのです。

モップ交換のたびに顔を見れることとなりました、睡眠時間が足りなかったり、事故したり、とたいへんそうですが、会うたびモッピーちゃんは明るく元気になっていきます。どんどんキレイになっていってます。

そこで、(最終回イブ)それを選んで生まれてきたとなったわけです。降りかかる理不尽とどのように折り合いをつけてきたのか、と尋ねたのです。

失礼ながら、モッピーちゃんは「無理をしているのではないか?」と思ったのです。自分に言い聞かせて、自らを奮い立たせているのではないか、と。

飽きた、とモッピーちゃんは言いました。

かわいそうな自分をしていることに飽きた、と。

私はもう、可哀想な自分というのは選択しない、と。

そしてそれができるようになったのは、さんざん自分をかわいそがったからだ、と。

丶(・ω・`) ヨシヨシをいっぱいしたから気が済んだ、と。

そう、モッピーちゃんはいつもそれは自分を愛おしそうに抱きしめて涙を流していました。

さびしかったよね、辛かったよね、と。

大人のモッピーちゃんがそんなふうに抱きしめてくれたから、ちっちゃいちゃんは気が済んだのです。

家族の中で理不尽な役割をさせられていたこと、断ろうと思えば断れたのに私は断らなかった。それは、その役割をすることにメリットがあったから。私はそれが欲しくて役割をやった。

なんでその役割があなたのとこに振られたんだと思うの?

それはわからない、どうでもいい。

でも、役割は私が選んだけど、おとうさんが病気になることを私は選んでいない。それは私の選択ではない。だから私は、いろんなことを選んで生まれてきてはいない。でも、生まれて来た後のことは、自分で選んできた。これからも選んでいきます。

幸せになることを選んでいきます

ちょっとー!これ一体なんの映画のクライマックスの台詞????

丶(・ω・`) ヨシヨシをいっぱいしたから気が済んだ。もう可哀想な自分はやめる。幸せになることを選択する。

その後もモッピーちゃんはどんどん素敵になっていきます。ある時、あまりに可愛いので思わず「今日もかわいいね!」って言ったら、そうでしょー、私ね、自分が女であることが嫌だった、って気づいたんです。女でいいんだ、って思えたら、自分のことを可愛く思えるようになったし、可愛がってもらえるようにもなりましたよ!って。

すごいなー

法令線もなくなってきましたよ、って。なんたる美容法!!

長くひっぱってきた「それを選んで生まれてきた」シリーズ、これにていったん終了です。

いかんともしがたい事態に対して「あなたがそれを選んで生まれてきたのよ」と言われることがどうにも納得できませんで。それ言われたって何の解決にもならんやん。艱難辛苦のど真ん中にいる人が自らを言い聞かせるために自分で言うならまだしも、非当事者に言われる筋合いのものではありません。

使命として、それを選んで生まれてきた、という考え方を自分のお仕事への関わり方を強めるために使うのは有りかもしれません。でも、この考え方はいともたやすく人を「天職ジプシー」にしてしまいますからね。

事態が行き詰まったタイミングで、前世で、とか、なんか見えた、とかって口走りだすケースを多く目にしました。エンパスもそうですが、その力がなんか助けになるんならいいですけど、ほんと言い聞かせるため、あきらめさせるためにしかなってない。

本当に「そういう」力を持つ方もあるのでしょう。せっかくそんな特別な力もってるなら、どうせなら人がハッピーになることに使ってくれたらいいじゃないですか。因果を含めて、やるせなさ感を増すためではなくて。

人を一番幸せから遠ざけるものは罪悪感。その罪悪感を手放していただくこと、そしてずっと自分を責め続けてきたあなたの中のちっちゃいちゃんを丶(・ω・`) ヨシヨシしていただくこと。前世も来世もありません、今のあなたの人生で因果は完結します。

これが現時点でコネクトロンが問題解決の手段として最も有効だと思っていることです。次なるさらに有効な手段に巡り合うまでは、丶(・ω・`) ヨシヨシ道を邁進する所存です。

ちっちゃいちゃんたち、待ってるよ!!

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