親が子を思うより、子は親を思う。
これに例外はないと思います。
うちの子は困った子だ、あんな子が親を思っているはずはない!というケースがあるなら、それは単に自分(親)が望む形で子が親を思うということを表してくれていないだけです。
なぜ、親が子を思う以上に子は親を思うのか。
単純です、子の世界は親より狭い。子の世界で最も比重が大きいのは親です。親がいないと子は生きていけません。子の生殺与奪を握っているのは親なのですから。どんな動物の子も可愛らしいのは、可愛がってもらわないと生きていけないからです。
親であるというだけで愛されるなんて、親というのはなんとお得な状態なのでしょう。精子と卵子さえ提供すれば、親になれるのですよ。
絶対的に愛される、必要とされる存在となるために、人は自分の「子」にこだわるのかしらね。
子が親を思うことをわかりやすく訴えているのがこれ。
さて。
ちょっと切ないメールがありました。
おかあさまが体調不良だそうで、歩くことにちょっと支障があるそうです。見てて痛々しいそうなのですが。
が。
なぜか痛そうでかわいそうとか、労わりたいとかの感情が、まるっきりでません
私は人でなしなのかなとおもいながら、なんか声をかけなきゃと思うのに、何も出てきません。昔自分がいじめられていた時に気づかなかった、母への仕返しかなとおもいながら
本当に嫌な奴です
何だか罪悪感を感じながらも、冷めてる自分も居たりして、持て余してます
乖離っていいますやん?自分の感情を切り離すこと。
この方が切り離した感情はなんでしょうか。
はい、おかあさまをかわいそう、と思う気持ちです。
乖離とは、自分が壊れそうになる時に、壊れる自分を守るために起きる現象です。
では、この方はなんのためにおかあさまをかわいそう、と思う気持ちを切り離したのか。
それは、自分をかわいそがるためです。
丶(・ω・`) ヨシヨシするためです。
おかあさまのことをかわいそう、と思ってしまったら、おかあさまにいじめられていた痛みに蓋をすることになってしまいます。
蓋をするために人はどうするか、言い聞かせます。
おかあさんだって大変だったんだから
そうやって自分の痛みを亡き者にしようとします。
なくなればいいですけどね。
なくなりません。
蓋をするだけではなくなりませんし、無理矢理抑え付けられたものはいつか爆発します。
してもらったことをありがたく思う、親が子を思うより強い親を思う気持ちをもってしても、かわいそうと思えないくらいの痛みがあるのですよ。
だから、ちっちゃいちゃんが声をあげたのです。
おかあさんのことかわいそがってる場合じゃないでしょ!
私の傷はまだ癒えてないのよ!!
丶(・ω・`) ヨシヨシしてよ!!!
されたことと、してもらったことは相殺できません。
参考エントリー:相殺しろと言われて相殺できますか?
罪悪感は、自分以外の価値観による「ねばならない」がもたらしたもの、冷めてる自分は、傷つけられたことに対する抗議です。
丶(・ω・`) ヨシヨシのプロセスが終了して、傷ついていたちっちゃいちゃんの気が済んだなら、おかあさまとの距離は自然なものとなるでしょう。なんら「ねばならない」を伴わないものに。
一緒にいなきゃいけない、でもなければ、離れていなければならない、でもなくて。
していただきたいことは本当にただひとつなのです、過去の自分、人生で一番最初に傷ついた時点での自分に対してかわいそがること。辛かったよね、嫌だったよね、と寄り添うこと。幼かった自分が言いたかったのに言えなかった言葉を言わせてあげて、それに耳を傾けてあげること。
やっとわかってくれた、とちっちゃいちゃんが納得できたなら、あなたをひっぱっている手を離してくれることでしょう。
子が親を思うのは当然至極、それができないというのは、そこに何かあるから。できない原因があるから。できないからといって自分を責める必要はまったくありません。だって、あなたが本当は慕いたい、という気持ちを妨げる原因を作っているものがあるのですから。
決してあなたの責任ではありません。
本来なら思いを傾け合うべき親子、それができなくなってしまった原因を探します、見つけます。自分が悪いのではない、と納得していただけたなら、もとい、納得していくためにこそ丶(・ω・`) ヨシヨシは必要なのですよ。
大好きなおかあさんとちゃんと繋がれなくて寂しかったよね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
※おかあさんのこと、ほんとは大好きだった、という気持ちが出てくるのは、自分をかわいそがった後です。繋がれなかった痛みをだしきった後です。
占いはするけど占い師じゃない、
カウンセリングはするけどカウンセラーじゃない、
問題の根本解決を目指す「悩みの探偵」です♪
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