こちら↓の続きです。
トランスからも抜けていただきました。
怖かったよね、丶(・ω・`) ヨシヨシ
で、終了となるはずですが。
が。
そもそも、シルバーちゃんからお題をいただいていませんでした。これが困っている、もしくは、こうなりたい、いずれも提示されていません。
やりたいことがやれていない、とは途中で出てきましたが、シルバーちゃん的には好きなことはわかっているし、好きなことがやれていない、という認識もあまりなかったようです。
現状で、怖くてできていないこととはなんなのか。
ありました、インターフォンが鳴っても応対することができないのです。居ないフリなさって息を潜めていらっしゃるそうなのです。
なぜ?
もしも訪ねてきたのが実家のメンツだったら、怖いから。ご実家の面々からインプットされた恐怖、なかなかのものですね。
そしてその恐怖は、居留守をきめこむダメな自分、とたやすく罪悪感へと転換していました。現時点でシルバーちゃんを縛っていたのは、恐怖ではなく罪悪感だったのです。
みなさんご存知のように(知らんか)罪悪感は人を幸せから遠ざける最たるものです。シルバーちゃんの幸せとは何か、命式に現れている持って生まれた感覚を活かした世界に浸ること。できればそれがお仕事にも繋がることですが。
が。
スカイプの画面越しで見ても、シルバーちゃんご自分の「好き」に囲まれています。高望みしすぎて反動でダメポになっているわけでもなければ、将来への不安にとりつかれているわけでもありません。
シルバーちゃんが罪悪感ゆえに果たせていなかったことはですね、これはアンケートでも書かれています。
これを読んで、最近読んだとある本が思い出されました。
ドンズバじゃないですか!膝の皿を割りながら読み進めていったのですが、どうにも違和感がある。なんだろ、この違和感の正体は。
数日悩んで、やっと言語化できました。
自分をいたわることも、自分がやりたいことをやることも、世間に合わせなくていいよ、ってのも、すんごい頑張ってしてる感があるのです。文体の仕業かもしれませんが。
やりたいことをやるのはもちろん、いたわることも、世間に合わせないことも(合わせる、ではない)、やっていこうぜ!と。
やれない、いたわれない、合わせないことができない、とにかく、「こう、するぞ」となんらかの目的地を決めてそれに向かうこと、それができない人がいます。そのエネルギーすら枯渇している人です。
そういった人にはまず、しんどかったよね、できなかったよね、しないといけないと思ってたよね、という丶(・ω・`) ヨシヨシが必要ではないですか。
それがないことに、錦の旗のもとに集うことを強いられているようなしんどさを感じてしまったのです(あくまで私の感想です)。
シルバーちゃんは自分の好きなものはわかっていたけど、ほんとは「好き」に浸ることもしんどかったけど、それを頑張ってしてしまっていた。なので、本来は好きなものから得られるはずの善きものを得ることができていなかった。
好きに近づこうとすればするほどしんどかった。好きに浸って必要なリラックスを得ることを自分に許さなかった。
だって自分を責めていたから。恐怖ゆえに遠ざかるしかなかったのに、家族から遠ざかることで自分を責めていたから。
セッションの最終工程であるビリーフ焼却のあとも、「後ろを振り返らず、前だけ向いて進んでいきます」とおっしゃいました。一見、いい言葉のように思えますが、自分を鞭打っていらっしゃいます。
お気に入りのカーディガンを着て、公園でのんびりとリラックスする時間。先を考えることなく、過去を思い悩むこともなく、ただ今を感じる。それがシルバーちゃんに不足していたものでしたね。
カーディガンを買えなかった理由はもいっこ、お金を使うことを厳しく制限されていました。好きなものを買うことにも罪悪感を持っていらっしゃいました。現時点で身の回りにある好きなものは、「頑張って」好きをされた結果ですよね。
リラックスに通じる「好き」を手にすることを潔しとされなかった。
命式では豊富に財星を持つシルバーちゃん、使ったら使った分だけ入ってくる方です。ほんとうに欲しかったカーディガンにお金を出された結果、そのリターンがやってきたそうで、ご自身の財星の豊かさを実感できたとのこと。
「好き」がやれていなかったら、閉塞感はもっとわかりやすかったでしょうね。好きをやることすらしんどかった、そうも気を張り詰めて生きてきた。
しんどかったよね、丶(・ω・`) ヨシヨシ