TODAY'S CONTENTS
1:昨日の朝、私を襲った出来事
2:直前のサイコロ
3:認知の歪み?
4:占いにヨシヨシはできない
5:占いは当たるものではない
1:昨日の朝、私を襲った出来事
あのね、笑わんと読んでくださいよ。
昨日ね、私ね、トイレに閉じ込められたんですよ。ドアの鍵が壊れて。
事が終わって出ようとして鍵が動かないの、どんだけ青ざめたか。
止めてるネジをなんとか外そうと頑張ったんですが、4個のうち2個しか外せない。トイレのカレンダーを止めていたピンが大活躍しましたよ!
二時間後には夜勤明けのチビが帰ってくる、最悪それまで待つかとも思いましたが、いろいろ悪あがきしました。これまでに見た脱獄もの映画のいろんなシーンが頭に浮かびました。
不幸中の幸は火とか使ってなかったこと。文鳥さまはケージの外、私のこと必死で探してるようでした。
チビが無事帰宅。カレンダーの裏に「鍵が壊れて閉じ込められています。ドアを外して開けてください」と書いてドアの隙間から差し出しました(カレンダーにゴミの日とか書くのにボールペンを置いていた)。
しかし!
私が思っていたのと違って、ドアは外から外せない。困った、困った、コマドリ姉妹。
チビがドアノブの外の部分を外したようです。外が見えます。そこからドライバーを差し入れてもらい、鍵のネジを外して無事に外に出ることができました。
もう、クタクタ。文鳥さまも心配だったのか疲れ果てていました。教訓:トイレにドライバーは必須ですよ!!
2:直前のサイコロ
トイレに入る直前、サイコロ振ってたんですよ。ここんとこごっつい困ってることありまして、それについてお伺いを立てたのです。
そしたら!
出てくる卦にキッツイことばっか言われまして、器が小さいくせに偉そうにばっかしやがって、ちょっとは自分を磨く努力をせんかい!偉い人にはちゃんと従え!おとなしくしとけ!!みたいな。
ハァ〜とため息つきながらトイレに入ったらこれですよ!
閉じ込められたとわかった瞬間、頭の上から「おまえ、外におったらうるさいからしばらくそこ入っとけや」と声が聞こえましたよ!!
やられた、と思いました。
このやられた感、指を切った時と同じです。
セルフリーディング〜ケガをした意味
いや、それ以上。だって閉じ込められる前にサイコロ振ってるんだもの。
サイコロは前々から気持ち悪いくらい当たってましたが、「やっぱ当たるんやわ、サイコロさんに逆らったらあかんわ」と思いました。
3:認知の歪み?
易は「〜したら〜になる」という表現が多いです。
いいことあるよ!ではなく、〜をしたらいいことあるよ!です。
前出の私のケース、戒められることばかりの内容でした。その戒めに従わなかったから閉じ込められた、だったらサイコロの通りになった、と思ってもいいですが(いいのか?)まだなんのアクションも起こしていないうちのお叱りです(しかられたのか?)。
これで「サイコロの言う通りになってしまった」とビビると、それはまさに認知の歪みでしょう。
いや、反省の時間も与えられずの罰(罰なのか!)、そんだけひどい状態だったと思えなくもないです。
私が悪い子だったから叱られた(誰から?)。
自分で振ったサイコロだからいいようなもんの、もしこれがどっかの占い師によるものだったら、もう信じちゃいますよね。
あの人の言うこと、当たったよ!と。
サイコロの内容で猛省するのはいいのです。しかしそれと閉じ込めをつなげてしまうと、あちこちで歪みが起きます。
叱られないようにちゃんとしとこう、と思うのはいいでしょう。行いを改めるのですから。
占い師に伝えられたのではないのなら、自分で振ったサイコロの結果ならば、誰が叱るのか。誰に叱られないように行いを正さなくてはならないのか。
一神教の神様って叱る存在としてわかりやすいですよねー。一神教ではない日本では、神様の代わりに「お天道さま」がいます。世間だったりもしますけど。
私は良心というのが一番フィットします。
4:占いにヨシヨシはできない
力もないくせに、力つける努力もしてないくせに、デカい顔すんな!
これがサイコロさんから言われたことです。
はい、わかりました、これから努力します、デカい顔しません。
と、言われてできるなら警察いらんやんね!
傲慢と卑屈はセットです。私の卑屈ゆえの傲慢(デカい顔)はどうにも直せないのです。私が、私が、といらん主張をすることがどうにも止められないのです。
それはなぜか。
懸命な読者の方はお分かりですね、いらんアピールは顧みてもらえなかった痛みゆえです。
60も過ぎて何いうとんじゃ!自分でもどうにかしたいです。
いらん「私が、私が」をしたらダメだよ、と占いは教えてくれます。
いらんことをしたらこんな目に遭っちゃうよ、ということも教えてくれます。
でも。
いらんことをしなくなるためのサポートまではなかなかしてくれません。
してはいけません、と言われてしなくて済むようになれるのは理性の世界。
してはいけませんと言われてもやってしまう、それは感情の世界です。
納得していない感情があるからです。
それにはヨシヨシしかありません。他の術を私は知りません。
ヨシヨシってなあに?
5:占いは当たるものではない
正直なとこ、なんでサイコロが当たるのかわかりません。
バーナム効果のように思い当たるフシをついてくるだけで説明できないものがあります。
しかし、占いに頼ったということは何かを求めてのこと。
せっかく出た結果を無視するのはもったいないことです。
気づいていないことへの指摘があった
改善しようと思いながらしていなかった
思ってもみないアイデアだった
等々
それを活かすことは無駄にはならないでしょう(※脅し系は別ですよ!