朝日新聞 患者を生きる
子どものうつ病〜全てがいやに、家を出た
https://www.asahi.com/articles/DA3S15794332.html
↑これがですね、
「箸が転がっても悪いのは自分だと思う」病ですよ。
どうして「こらえられないほどの悲しみ」に引きずられている自分を労われないんでしょうね。
この記事を読んで、世の中「自分が悪い」病の患者だらけやな、と頭を抱えていたのですが。
が。
私自身にもたいそう凹む出来事がありまして、全身の体液が真っ黒なインクと入れ替えさせられたかのような。
それでなくても持ち合わせの少ないやる気を全て削ぎ落とされ、怒る気力もないくらいに廃人化しておりました。
いかん、いかん、どうにかして立ち直らなくては。なんか気持ちを清めるものはないかと、鳥の写真集を手に取ったりしておりました。
必要な時に必要なものがやってくる、本に対しては特にそれを感じますね。
積読になってた本が目に入りました。
何気に後ろを開いたら巻末のエッセイがなんと重松清先生(敬称付き。
こ、これは読まなあかんやつや!
収録されているのはいずれも著名な作品、どっかで読んだこともあるでしょうけれど詳細の程は忘れておりました。
いくつかは共通のテーマがありまして、それは、「人が自分を責める」こと。つまりは罪悪感です。
罪悪感には3種類あります。
1:原因がわからない厄災に対し、自分が悪いとして納得させる
2:他者を庇うために、自分が罪を引き受ける
3:明らかに自分がやらかして、そのために被害者を生んでしまう
たとえ3のケースであったって、コネクトロンにおいてはいかなる詭弁を弄してでも、「あなたは悪くない」と言い張りますが。
が。
本著に描かれていた罪悪感には共通点がありまして、それは「ズル」なのです。
いえ、ズルではありません(どっちやねん。
自分が得をするために、自分が損をしないために、一瞬ではありませんが作を弄してしまうのです。
その一瞬が、自分にだけ向けられた意識(エゴとでもいいましょうか)が、他者に不利益をもたらしてしまうのです。
その結果に、主人公は自分を責めるのです。
誰だって自分が大切です。自分を大切にしなければ、生きてはいけません。生きるとは、自分を大切にした結果なのでしょう。
生き延びるために他者より自分を優先したからといって、責められることはない。
しかし。
自分を優先したせいで他者が不利益を被ったら。
それも、自分の大切な人であるなら。
申し訳なさが溢れます。
しかし。
それはもちろん、相手が大切だからこそ。
大切な相手でなければ、「ま、いっか」で済ませられることでしょう。
そして。
大切な相手は、あなたが罪悪感を抱くことを良しとしません。
あなたから罪悪感を取り除くために、許しの祭り状態です。
だって、あなたが大切だから。
通常、罪悪感とは相互のスパイラルなのですよ。
私のせいで、と自分を責める
↑↓
わ、私のせいであの人に自分を責めさせちゃった
これがエンドレスです。
相手が大切であればあるほど、責めないのです、相手はもちろん自分だって。
自分を責めることは、相手に自分を責めさせると同義なのですよ。
大切な人に罪悪感を抱かせたくないなら(抱かせたくないよね?)、隗より始めよ、自分を責めることはやめてください。
あなたは、「あなたの大切な人」の大切な人。
重松清先生の巻末エッセイ、タイトルは「困りつづける子どもたちへ」でした。
人は困るとね、解決できないとね、自分が悪いんだ、って思っちゃうんですよ。
困りつづける子どもはもちろん、大人にも
あなたは悪くない
丶(・ω・`) ヨシヨシ
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