↓これの続き(のようなもの)
終)お父さんはどこ?
書き足りないことがありました。
みなさんお馴染みの、問題解決の大前提。
問題が解決するとは、必要だったものが手に入るとか、遠ざけたいものが離れていってくれるとかではなく。
それが「どうでもよくなること」です。
今回の事例でいうならば、当初のお悩みであった「息子さんの問題行動」がなくなる、ではなくて、「それがどうでも良くなる」です。
どうでも良くなっている状態では、ほぼほぼその問題行動は霧散していることでしょう。
問題行動がなくなったからどうでも良くなるのではなく、どうでもよくなったから霧散するのです。
今回、息子さんの問題行動は「夫さんの機嫌を損ねてはいけない」という感情を引き出すための手段でした。
ひさこさんは、お母さまが教祖の「夫はたてなくてはいけない」教の信者でした。
あなたは夫をたてることが出来ますか?
いわば、その踏み絵だったのです、息子さんの問題は。
息子さんの問題を見事解決して、夫さんの機嫌を損ねずにいられるか、というミッションだったのです。
ひさこさんがお母さまと同じく、真の「夫はたてなくてはいけない」教の信者であるならば、ひさこさんは何の疑いもなく、息子さんを封じ込めることができたでしょう。
しかし。
ひさこさんはいわば宗教2世です、親ほどの強い信仰心はありませんし。信心することのメリットもそうありません。
※お母さまにとっては、女の子を産めなかったという、負い目を払拭するための手段でした。
夫の意に沿うように息子を押さえつけるよりも、息子を自由にさせたいという気持ちの方が優ったのです。
そうそう、もいっこ忘れてました。
夫さんは、ひさこさんをdisるのですよ、お前なんか、って。
当然のようにそれは、ひさこさんのお父さまがお母さまになさっていた仕打ちと同じ。
何ならこれは、息子さんのこと以上の問題です。
ひさこさんは自分が夫から尊重されるべき存在とは思っていなかった。
Disられて当たり前、滅私奉公して当たり前、女としての喜びを感じることも自分に許してはいない。
これをどうにかすることこそが、優先事項。
ひさこさんが夫さんから大切にされるなら、夫さんへの忖度の手段としての息子さんの問題は必要ないのです。
だからこそ、息子さんの問題は霧消するのです、どうでもよくなるのです。
なぜ親と同じことを繰り返してしまうのか。
そこに傷があるから。
その傷にフタをしているから。
傷がありますよ、治ってませんよ、と声をあげるのです。
誰が?
ちっちゃいちゃんが。
お母さんがお父さんから大切にされてなくてカワイソウだった
見てて辛かった
私も男の子じゃないから喜ばれなくて悲しかった
ちっちゃいちゃんの未完了な気持ちがいっぱいです。
問題とはちっちゃいちゃんが声をあげたシルシなのです。
だからちっちゃいちゃんの気持ちを掬い取ってあげれたなら、ヨシヨシできたなら、ちっちゃいちゃんは気が済むのです。
そして、問題が霧消するのです。
大切にされたかったよね
丶(・ω・`) ヨシヨシ