これ⬇︎の続き
同じ事柄でも人によって反応は違います。ささいな言葉に凹みまくる人と、軽く流せる人。その違いはなんでしょうか。反応する傷があるか否か、です。
そして、もいっこ。
「何が、ではなくて、誰からか」です。この人の話になら耳を傾けられる、受け入れられる。
さらに、もいっこ。耳を傾けられる人から何を受け取ったか。それは前出の「傷」にも繋がるものですが。
いまぷ さま
お返事ありがとうございます。
そうですね、なぜそうしたのかー 思い出して見ます。
友人は習い事の教室で知り合った人で、ほぼ同時期に退会しました。
後日話す機会が有って、退会理由から同じ様な受け取り方をする人だと感じて親しくなりました。
家族や育ち方への思いで 共有できる部分が多いと感じましたが、私と違って、彼女は自分のことを大切に出来ている人なので、見習いたいと思いました。
私は友達が少ないので、お付き合い・お誘いしてもらえる事 、気にかけてもらえる事が嬉しかったです。
「見える人」と彼女は中学の同級生で、見える人の顧客では有りません。
友人も 親子・兄弟へのやるせない思いを持っていて、その事への「見える人」の会話やメールのアドバイスは頷けるものでした。面白い同級生がいるね~位の認識でした。
家族の事で どうにも出来ない時に、見かねて友人が 『「見える人」に相談してみる?』と言ってくれて メールで お願いする事にしました。
友人は 『おみくじぐらいに思ってね』と言ってくれたのですが、何しろ情報が無いので藁にも縋る様に聞いてしまいました。
友人からインプットされたモノ は わかりません。
けろきち 拝
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ああ、私にも同じようなことがありました。
私が母のことで悩みまくっているときに、アルバイト先で知り合った人が占いに行くことを勧めてくれました。
そうだ、そうだ、思い出した、これが私の人生初占いだったのです。
純然たる占いというより、見えるっぽいことや神様についての話が多かったです。
ここで聞いた話を母に伝えたら、母はそこで勧められたとある宗教団体にずっぽりはまってしまったのですね。
その教えはかなり長きにわたり、母の心の支えになっていたようです。
ちなみに母は、サイババに会いにインド行ったり、心霊治療うけにフィリピンに行ったりした人です。
ひどいリウマチゆえ、でした。
病とは人を何かにすがらせるのですね。私も持病がひどかったときはすがりましたよー。
参考エントリー:溺れる者は藁をも掴むシリーズ
脱線しましたが、けろきちさん、「見える人」を紹介してくれたお友達はあなたにとって信頼に足る人であった、そしてその人を救っていた「見える人」の発言もまったく素通りすることはできなかったことでしょう。
これが他の人からの言葉だったら、「選んで生まれてきた」ということにけろきちさんがそうもこだわることはなかったかもしれませんよね。
けろきちさんは、「選んで生まれてきた」を受け入れられないことをダメだと思ってしまっているのか、それとも、選んで生まれてきたのであるなら、自分がなぜ今の人生を選んだのか、どんな意味があるのか、が納得できなくていらっしゃるのか、それとも、そんなもん知らんがな、と言ってしまいたいのか。
どれでしょうか。
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