みなさんご存知のように(知らんか)私は「(故人)ご冥福をお祈りします」っていえないんですよ。
知らない人ならなおさらのこと。
http://connectron.love/archives/4556
大切な人に逝かれて辛い思いをしている目の前の人、逝ってしまった知らない人より目の前の人のことで私の気持ちはいっぱい。
と思っていたら。
葬祭関連のお仕事をなさっていた方から、ネット上の訃報に対してきちんとした弔文がなかったことに、なんだかね感を漏らしていらっしゃったのですよ。
そうか、朝には「おはよう」と言うように、テンプレといってはなんですがその場にふさわしい言葉を使うことが気持ちのやりとりをスムーズにすることになるのだな、と考えを改めさせられました。
今度からは言うぞ、ご冥福をお祈りします、って。
目の前の残された人のためにも。
ということで(どういう?)大切な人を失ったという大ダメージを受けた人にどのような言葉をかければいいのか悩ましいところですよね。
違うケースで言葉に詰まった場合に、たいへん汎用性の高い魔法の言葉がありました。
http://connectron.love/archives/1468
「そうなんや」はジャッジを伴わない言葉。
痛みを抱えた人に、お辛いですね、と言葉をかけるのも「辛いであろう」というジャッジがあるわけで、その言葉が負担になることもあるでしょう。
なんて考えてたら何も言えなくなっちゃうんですが。
が。
いい言葉に遭遇しました。
カルーセル麻紀を素材としたほぼフィクションですが、これが自負と矜持を貫く実に心強くされる物語でした。
子供時代のカルーセル麻紀である秀夫少年が、自分を可愛がってくれているおばさんに、弟が亡くなったことを告げますとそのおばさんがとある言葉を発したのです。
実は同じようなシチュエーションで同じフレーズを聞かされたことがありまして。
それも、逝かれてしまったほうの方から。
辛いとか悲しいとかじゃなくて。
人生いろいろあるなあ、って。
弟を失った秀夫少年におばさんは
人生いろいろあるね、と言ったのです。
ノージャッジ
まさに人生にはいろいろある。
そのいろいろが辛いか悲しいか、どの言葉を選ぶかもいわばジャッジ。
ノージャッジ
これまでの自分の押し付けがましさをかなり猛省です。
ノージャッジこそが受け止めるということかと想いました。
テンプレのお悔やみの言葉もノージャッジ。
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note 更新してます。
神戸スパイシー・モーニング
https://note.com/saba_atama/n/n701e07098751
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