続)糟糠の妻はなぜ捨てられるのか

↓これの続き

糟糠の妻はなぜ捨てられるのか

昨日の「糟糠の妻はなぜ捨てられるのか」についてメールを山のように(ほんとは5通)頂戴しまして。

妻を捨てた男を擁護するのか、なんでもかんでも女が悪いのか、的な意見が来るかな、とは思っていたのですが。ま、そうとられても致し方ないってとこありますよね。

もちろんそうではなくて。

人というのは変化するものだ、ベストな繋がりは未来永劫続くものではない、続かせたいならなんらかの働きかけは必要、もちろん変化によってその関係が必要なくなることもある、ということを言いたかったのです。

そして、対等であること。対等ってなんか嫌な言い方ですね。目線の高さが同じ。パートナーシップは相互依存ですから、一方通行の依存ではあきませんよねー。うん、関係に「一方通行」の依存や執着が発生すると不健全ですよ。

ということをツラツラと考えていたら、実に的確なツイートに遭遇しましてね!
f:id:connectronkobe:20160424163905p:image:w500
https://twitter.com/riko/status/723850509640151040
f:id:connectronkobe:20160424170304p:image:w500
https://twitter.com/riko/status/723859737477976065
スタートはここ↓だったようです。
f:id:connectronkobe:20160424170608p:image:w500
https://twitter.com/mOgusA315/status/723844531574034433

異性に求めるものに「尊敬できること」ということをあげる方がいらっしゃいますが、そこに「互いに」があるかないか。

関係というのは相互、互いに、お互いに、なんです。一方通行ではダメなんです。相手はくれてるのに、こちらからはあげるものがない。引っ張ってもらってばっかり、尻を叩いてばかり。

相互依存ということは、自分だけが支えられるのではなくて、相手を支えることももちろん必要です。なのでひとりで立つ力がない人は、相手を支えることもできないのですよ。支え合うことでしか立つことが出来ないのはつまり、共依存です。

今回はたまたま糟糠の妻として捨てられる女性としましたけど、もちろん捨てられる男性だっているわけです。

ポイっ
f:id:connectronkobe:20160424170731p:image:w500

 

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