↓これの続き
糟糠の妻はなぜ捨てられるのか
昨日の「糟糠の妻はなぜ捨てられるのか」についてメールを山のように(ほんとは5通)頂戴しまして。
妻を捨てた男を擁護するのか、なんでもかんでも女が悪いのか、的な意見が来るかな、とは思っていたのですが。ま、そうとられても致し方ないってとこありますよね。
もちろんそうではなくて。
人というのは変化するものだ、ベストな繋がりは未来永劫続くものではない、続かせたいならなんらかの働きかけは必要、もちろん変化によってその関係が必要なくなることもある、ということを言いたかったのです。
そして、対等であること。対等ってなんか嫌な言い方ですね。目線の高さが同じ。パートナーシップは相互依存ですから、一方通行の依存ではあきませんよねー。うん、関係に「一方通行」の依存や執着が発生すると不健全ですよ。
ということをツラツラと考えていたら、実に的確なツイートに遭遇しましてね!
https://twitter.com/riko/status/723850509640151040
https://twitter.com/riko/status/723859737477976065
スタートはここ↓だったようです。
https://twitter.com/mOgusA315/status/723844531574034433
異性に求めるものに「尊敬できること」ということをあげる方がいらっしゃいますが、そこに「互いに」があるかないか。
関係というのは相互、互いに、お互いに、なんです。一方通行ではダメなんです。相手はくれてるのに、こちらからはあげるものがない。引っ張ってもらってばっかり、尻を叩いてばかり。
相互依存ということは、自分だけが支えられるのではなくて、相手を支えることももちろん必要です。なのでひとりで立つ力がない人は、相手を支えることもできないのですよ。支え合うことでしか立つことが出来ないのはつまり、共依存です。
今回はたまたま糟糠の妻として捨てられる女性としましたけど、もちろん捨てられる男性だっているわけです。