パペラキュウとアッシジの丘

恒例読みにくいシリーズです。コネクトロンの玄関です。
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トカゲが何度も落っこちているのでもうボロボロです。修理しないと、アンモナイト。さて、今日来られたお客様から質問を頂戴しました、アッシジの丘ってなんですか?と。うーむ、よくぞ気がつかれましたこと。っつか、見たら気がつくよね。
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いや、気がつかんか(どっちやねん)。
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附箋に「アッシジの丘」って書いて玄関ドアの内側から貼付けています。私らしい雑な作業でしょう(えっへん)。アッシジとはイタリアはウンブリア州モンテスパジオ山麓の丘に位置する小さな街です。2000年にユネスコ世界遺産に登録されました。アッシジが有名なのは聖フランチェスコの生地としてなのです。現在のローマ法皇フランシスコは別人ですよ。「ウィキペディア〜アッシジのフランチェスコ」。聖フランチェスコといえば鳥に説教している画像が有名です。
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これが誰の作かわからんのですよー。鳥好きの私には鳥に説教たれるってのは象徴的とも言えますが、私は聖フランチェスコに惹かれて惹かれて仕方がないのです。映画にもなってます。

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OSHOトランスフォーメーションタロットにも登場しています。
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聖フランチェスコをポピュラーにしたのはマザー・テレサが「フランシスコの平和の祈り」を毎朝唱えているということが知られてからではないでしょうか。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信仰を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、己を忘れることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。

私を聖フランチェスコにたどりつかせたのは西成なんです。みなさんご存知のように(知らんか)私にとって西成とは当初は朝から飲めるお店がいっぱいあるところ、という認識でしかなかったのですが、何度も行っていろんな物を見聞きしているうちにその認識が変わってきました。

やっぱねー、神戸に来て初めてしった部落差別の問題は衝撃だったのですよ。ま、衝撃を受けたからといって何か行動を起こすわけではないのが私のダメポなとこですが、部落問題から始まってハンセン病などいろんな差別問題に目が向くようになったのですね(行動は起こしていない:キッパリ!!)。そういう(どういう?)差別問題に関わって活動をされてる方ってキリスト者が多く目につくのですよ。そして関連書籍を読み漁るようになったのですが。行き詰まった時に読み返す心の支えともいえる書籍たちです。
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短歌の本以外はすべてキリスト者によるものです。教えを学ばなくては、と教会にも何度か足を運んだのですがどうにも縁がつながらなくてですねー。これは必要ないって言われてるのかな、とも思ったり。みなさんご存(ry)、私は多発性硬化症を発症した後に漢方薬屋の「難病にかかる人は自分も他人も裁いている」って貼紙に衝撃をうけて心の問題に意識が向くようになったのですが、それと同じように(同じなのか?)とおりすがりの教会で見た「名もなく弱く小さい者のために」って貼紙にも衝撃を受けたんですよねー。うん、これだ、これ、ここから聖書読んだり教会行こうとしたりし始めたんですよ。私がやりたいと思っていることにフィットしたんです。がっつり成功しようぜ、ってんじゃなくて、やっぱヨシヨシなんですよ。傷ついて弱ってる人をまずは歩けるようになってもらう、ってカンジですね。自分の足で歩ける人はどんどん歩いて行ったらいいんですよ、そして自己啓発とかいろんな成功哲学にのっとってバンバン稼いで高いセッションやらワークショプやら行ったらいいんですよ。ま、そんな人はウチには来ないですけどね。何が、ではなくて、誰からか。聖書、キリストの教えに直接関わることはどうにも縁がつながらなくて、でも教えの実践者である本田哲郎神父とか片柳弘史神父の言葉にはものすごく(ない)胸が打たれるのですよねー。できれば原典にあたりたいとこなんですが。で、なんでアッシジの丘って玄関に貼ってるかというと、コネクトロンをアッシジの丘にしろ、と言われたからなんです(誰から?)。パペラキュウのサチオに寄り添うマモルになれ、と言われたからなんです(誰から?)。いえ、言われたと勝手に思ってるんです。言われたことにしとこう、と思ってへたれな自分を奮い立たせています。みなさ(ry)、私はお酒がやめられなくて嫌いな人をdisることが大好きな困った黒タママなんですが、そんな私が聖フランチェスコにこうも惹かれるのにそれが実際の行動になかなか反映されないことがもどかしくてもどかしくて、どうして私は人を救うことに熱心な活動をされてる方々のようにしっかり出来ないんだろう、なんで気持ちだけ聖フランチェスコに向くんだろう、と困った、困った、こまどり姉妹なのですよ。行動力に著しく欠如する私のほんの些細な覚悟の欠片が玄関に貼られた「アッシジの丘」なんです。いつもにまして読みにくいものに長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。

最後までお読みくださりありがとうございました✨
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