親から下された評価で自分を縛っている人の多いことよ。
親からつけられた傷が乾かず、いまだ血を流し続けている人の多いことよ。
もう、せつなくて見てられません!!ヨシヨシさせろ!!!!
今回の母との絶縁に対して、この忘恩の徒め、とのお叱りも受けましたよ(実話)。
世間的にみても、親不孝の極みみたいなことを私はしてしまったことでしょう。
でも。
まったく、まーったく罪悪感がないのです、解放された喜び、それに勝るものはないのです。
ニュータイプ化してパンツも透視できるようになったしな(違。
自分を解放することに罪悪感を抱いていらっしゃるなら、
是非とも解放の喜びを感じることをご自身に許していただきたい。
私の解放へのプロセスが何か参考になればと思い、長い長い余談といたします
ほんと、長いよ。分けて書くと、また未完になる怖れがあるので。
ケータイで読んでくださってる方、ごめんね。
ビジョン心理学を学び始めて最初に気づかされたこと、
私の無力感、自分ダメ感の根っこになっていたものは、
祖父からボコにされていた祖母を救えなかった自分、というものでした。
髪をわしづかみにされて引き摺り廻されていた祖母の姿、青痣や傷が絶えなかった祖母、
小さい私になす術はなく、その光景をただ泣きながら見ているだけでした。
ワークで出て来たもの、「おばあちゃん、助けてあげられなくてゴメンね」でした。
助けてあげられなかった。何もできなかった。
同じ図式は預けられた他の世帯でも同じようにありました。
どの家の世帯主も、自分の配偶者をボコにするのです。
男=女を傷つけるもの、というビリーフががっちり出来上がってしまいましたね。
男とは自分を傷つけるもの、傷つける敵とは闘わなくてはいけない。
男=打ち負かすもの、というビリーフがあるということにも気づけました。
男とは私にとってケンカの相手なのです。そらー、パートナーシップがうまくいくはずないよ。
では、なぜそんな環境に私は居なくてはいけなかったのか、はい、母が子育てを放棄したからですよね。
捨てられた子というのは捨てた親を恨むのではなく、
捨てられてしまった自分、愛される価値がなかった自分、と自分を貶めるのです。
愛されなかった自分、愛情乞食が自身のアイデンディティとなってしまいます。
ほんと、この本は衝撃でしたね。そうか、私って愛情乞食なんだ、と。
ここに気づけた後は、扱うテーマは祖母ではなく母となりました。
NLPを学び始めてから、何度ワークで目が溶け落ちるのではないかというくらい泣いたでしょうか
(ほんま、おおげさでなく!)。
なにか問題があって、その原因をさぐりにタイムラインで過去に戻って、
いつもたどりつくのは母から愛されたかった自分、愛されなかった自分、なんです。
もう、うんざりしましたね。
そして、気づきのきっかけとなるコアトラ体験。
トレーナーと組んでコアトラ、誘導されて出て来たものは予想だにしなかったどす黒いものでした。
パンドラの箱を開けたように、という手垢のついた表現しか出来ないくらい、
それはそれは黒いものがたーくさん出て来たのです。
母への怒り、恨み、あんたなんか嫌いや、堰を切ったように止まりません。
母のことスキだと思ってたけど、スキじゃなかったんだ。嫌いだったんだ。
あんたなんか嫌いや、って言いたかったんや。
私はその黒いところから進めなくなりました。
これが時間に余裕のある個人セッションだったらよかったのですが、
いかんせんセミナー中のワークなので、タイムアウトです。
至福のコア・ステートにたどり着けないどころか、黒いものを両手にいっぱい抱えこまされて、
え、これどうしたらいいの?と途方にくれました。
手順をつかむためのワークですので、完璧にコア・ステートにはたどり着けてなくても先に進めます。
コア・ステートにたどりついた後は、それを親、さらには祖父母の代まで届けに行く、ということをするのですが、
私は祖父母にはそれを届けることは出来ても、母に対しては、イヤだ、と拒んだのです。
コア・ステートというギフトを母にあげるのは嫌だ、とはっきりと言ったのです。
親との問題が解決されてないのに先に進めるはずがない、と言われ、うわー、どうしよう!となりました。
さ、これが長いトンネルの始まりだったんですよねー、まさに迷走です。
神頼みじゃないけど、恥ずかしながらスピ系にもすがりました。ま、なんの役にもたちませんでしたが。
役にたたない、ということがわかったのが大きな収穫ですね、
もうスピには心を許さないぞ、財布も開かないぞ、と堅く決意。
その後もコアトラのセッションを受けましたが、どうにも行けないのです、コア・ステートに。
あなた無理、とかって匙なげられてしまいましたよ(藁)。
コア・ステートにたどりつかずに放り出されることの辛さが身にしみたので、
私はたとえ2時間かかろうが3時間かかろうが最後までやらせていただくのです。
トランスにそんな長く入ってられるわけないよ、とも言われますが、
絶対にいかせてみせる!と加藤鷹のように(激違)強い決意で臨ませていただいてます。
ま、これは後からわかったことですが、いけないってことは穴ぼこがでかいんですよね。
コアトラが進まなくなった時は、穴ぼこ埋めの作業にシフトです。
なのでコネクトロンのセッションが初めての方にはコアトラをお断りすることが多いんですよねー。
まずは穴ぼこ埋めてから、です。
穴ぼこを埋めずにいくら上に積み上げていっても、足下がグラグラするのでコア・ステートにはたどりつけません。
断言します。
私は愛情乞食じゃなかったんだ、スキだと思ってた人から愛されないことに自分ダメ感があったけど、
スキでもない人から愛されてなくてもいいんだ、と思い始めたような気がします。
そう、母への見方がかわりました。
決定的となったお正月の出来事はこちら。
ここで初めて私は母へのネガティブな気持ちを言葉に出して言う事ができたのです。
抑えていたものを出せたのです。
常々言ってオリますように、見たくないものにフタをしていると、
見たいもの、好ましいものへの感度も鈍ってしまいます。
気持ちってねー、飲み込んでしまうと自分の中にどんな気持ちがあるのかわかんなくなっちゃうんですよね。
なので、言葉にして出す、ってことがものすごく重要。
出してないってことはつまり、その時点でフタがされてる、抑えられてる、ってことです。
自分を抑えるフタは一部にだけ作用することはありません、伸ばすべき感覚にもフタがされてしまいます。
なので。
気持ちを葉にしてハッキリと口から出してください、と私はうるさく言うのです。
出せないということは、フタが取れてないということです。これまた断言します。
楽しいことがわからない、やりたいことが見つからない、って方の原因は
100%といっていいくらい、このフタです。
何がきっかけだったか忘れましたが、お正月事件のあとしばらくして和解。
以前のように言葉を交わすようにはなりましたが、親族がらみのなんやかんやがあって、
母の状態が心身ともに悪化。
いつ何があるかわかんないから、予定いれられないよな、とすべてに腰がひけてた時もありました。
死んでるとこに遭遇して、役所いって火葬場いって銀行やら保険やら、といろいろしなきゃいけないなー、と
かなり具体的に覚悟をしていたのですが。
が。
母の言動に振り回されることにかなり消耗してきたとこに、背中押されたみたいになったのがこの2冊。
親のやることを喜ばなくていいんだ、して欲しくないものはいくら貰ったって嬉しくないんだ、
喜んであげなくていいんだ、ありがたいと思わなくていいんだ、と目からウロコ。
だいたい私のこと何も知らないよね、知ろうとしてなかったよね、
私が何を嬉しいか、何を喜ぶか、知らなかったよね、と。
これは誰との関係でもあることですね。
自分がやってあげたい、という気持ちと、それが本当に相手のタメになるかどうかは、当然のことながらまったくの別モノです。
捨てるのは母ではなく、母に愛されなければいけないというビリーフ。これ、すんごい楽になれました。
愛されなくてよかったんだ、愛さなくてもいいんだ、と。もう、ええわー、と手放せた感がありましたね。
そうこうしてるうちに、インテリキザの呪縛から解放されたわけですが、
この気づきがあった直後に献血ルームに出勤だったのですがね、
いつものようにルームに入っていって、スタッフの方と挨拶をします、
おはようございます、今日もよろしくお願いします、と。
その時に衝撃。
笑顔をつくって挨拶をしたわけですが、こんなに自然に笑顔作れたの初めて!51年の人生で初めて!!
顔に力みがないんですよっ。ああ、これまでの私って、ほんといろんなとこに力が入ってたんだ。
笑うのも人と話すのも、常にいらん力が入ってたんだ。力が抜けて初めて、力が入っていたことに気づけたんです。
うまく伝わらないかもしれません、でも、ほんと衝撃だったんです。
これまでかけていた色眼鏡をはずして、世界ってこんなに明るかったんだ、と気づけた感じです。
そうか、私を縛っていたものはこうも強力だったのか。
気づけるって、解放されるってこんなにすごいことなんだ、と思えました。
この日の献血ルーム、ほんと「見える」感があったのですよ。
自分が感じているものに迷いがなくなりましたね。ニュータイプ宣言!!
あ、キザインテリは変わらずに好物ですよ。根っこがわかったからいいんですよね。
好物である赤ワインをそう嫌いになることもないように(違。
解放されたことを喜べる反面、母への恐怖が増していきました。まさに恐怖。
こまごましたやりとりが必要だったのですが、もう怖くて電話できないんですよ、
またどんな言葉で傷つけられるかと思うと、ただひたすら怖かったのです。
すべてをスルーしている私に業を煮やして母がやってきたわけです。
母に向けた自分の暴言の数々に、こうも私は抑えて続けていたのか、と。抑えていたものの量に驚きました。
何より心強かったのは、親が目の前で見せた醜態をチビが全面的に受け容れてくれたことですね。
すべてが報われた、ほんと、もう死んでもいいや、と思えましたよっ(ほんとに、ほんとにっっ。
絶縁を交互に交わしたとはいえ(なんか日本語がおかしい?)、
実務的に処理しなくてはいけないことはまだまだあるでしょうから煩わしいことが皆無なわけではないでしょうけど、
めんどくさ、と思うことはいくらでもあるでしょうけど、頭の痛いことがもちろん無いわけではないですけど、
チビからは相変わらずこの墓穴掘り名人め、と罵られていますけど。
ど。
そのことで傷つかなくなりました。好ましくない出来事と自分を切り離すことが出来ました。
好ましくない出来事があることで自分を貶めることがなくなりました。
ビバ!この解放感!!
もうねー、Tommy が感覚を取り戻していけた喜びが自分のことのようによくわかるのですよ。
これよ、これ、これっ。私はこれをあなたにも味わって欲しいのです。
フタをとっぱらうことで、より多くの喜びが感じられるんだ、ってことをわかっていただきたいのです。
親によって作られた穴ぼこの存在に気づいていただけて、その後、親との和解を迎える方もいらっしゃいますし、
私のように完全なる決別となる方もいらっしゃいます。
穴ぼこに気づけた後であれば(ここ、超・重要!!)、その決別は必然です。
もう必要ないのです。その家族の役割は終わったのです。
かつて欲しかったものを、いつまでも欲しがる必要はありません。手に入らないのは必要ないからです。
欲しいものは過去にではなく、未來に掴みにいきましょう。
そのためには。
まず、ヨシヨシを。傷ついている過去の自分、そして今の自分にヨシヨシを。
ヨシヨシのお手伝い、させていただきます。あなたをヨシヨシしたいです。させてください。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
※もっと長くなると思ったけど、そうでもなかったなー。