愚痴っていいとも!!

親の愚痴を書くと必ず「親は尊い」みたいな綺麗事を言う人が(-_-;

という、ツイートが目につきました。

さて、この1文には2つのテーマが内包されています。

1:愚痴を言ってはいけない

2:親の愚痴を言ってはいけない

「愚痴」を言うことと、「親の愚痴」を言うことは似て非なるものです。

愚痴は言ってはいけないもの、という認識が一般的ですよね。
コネクトロンにお越しいただいたお客さまでも、
胸のウチをいろいろと話してくださった後に、愚痴ってすいません、
とおっしゃる方の多いことよ!
あなたが口にされたものを愚痴というのなら、
ウチで愚痴らずにどこで愚痴るのよさ!!という感じです。
グチグチ、無問題ですよ。

愚痴の定義は「言ってもしかたのないことを言って嘆く」ということだそうで、
言ってもしかないんなら言うな!ってとこでしょうか。

出さないと無くならないですよ。
愚痴が嫌がられるのは多分、
聞かされている相手の言葉を一切受け取ろうとしてないからじゃないですかね。
聞かされたほうは、なんとか気を晴らしてあげようと、
あれやこれやと声をかけるか、もしくはひたすら傾聴。
その相手の言動を受け取らない、ひたすら否定する、
たとえば強力NGワード「どうせ」などを使ってですね。

そら、聞かされるほうイヤですよね。
ただ吐き出されるだけであっても、吐き出してスッキリしたわ感でもあればいいですけどね。
聞かされ役が提供しているものを一切受け取る気がないんならそれこそ、
言ってもしかたないなら言うな!となりますよね。

堪忍袋というように、気持ちにはキャパがあります。
飽和状態になると破裂します。
なので、破裂する前にガス抜きが必要ですよね。
それが愚痴を言うことです。
そして、発した愚痴に対してなんらかの応対があれば、
いわばそれはヨシヨシなんですよ。

愚痴りたくなった現象にたいして、イヤだったよね、と
受けとめてもらえたら気が済みます。
この「気が済む」という状態になっていただくことが大切ですね。

気持ちだけ投げ出して、ヨシヨシを受け取ろうとしない、
それが一般的に嫌がられてる愚痴なんだと思いますよ。

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