ロケットマン〜ちっちゃいちゃんの物語

エルトン・ジョン歴47年の私が「ロケットマン」を見てきましたよ!!

一足先に見てきた絵師マリアンヌからは、「ちっちゃいちゃんの物語でしたよ」との感想を聞いていました。
お気づきでしょうか、当エントリーのカテゴリーがNLPであることを。
ロケットマンがちっちゃいちゃんの物語であった、という本題の前に、長い前振りを。
エルトン・ジョンの一番古い記憶は小5。ラジオにかじりついていました。
そして魔の14歳、つまり厨二です。この時期はほんと人を狂わせるのですね。厨二の1975年に私の志向に決定的となった2つのものがリリースされました。


TOMMYを見たのはエルトン・ジョンが出ていたからですが、遅まきながらこの映画によって私は THE WHO にはまり、本格的にイギリス物の音楽に足を踏み入れていったのです。
みなさんご存知のように(知らんか)今の仕事を始めてからTOMMYを見返して、「SEE ME,FEEL ME,TOUCH ME」のフレーズに込められているものの重さにおののきました。

そしてエルトン・ジョンは、「SOMEONE SAVED MY LIFE TONIGHT」と歌うのです(邦題は「僕を救ったプリマドンナ」でした)。

どちらも救いを求めるものです。そして、救いは得られたようです。
TOMMY も エルトン・ジョンも救いとなるものに繋がれたのです。
映画でも触れられていますが、エルトン・ジョンの曲の歌詞を書いているのはバーニー・トゥピンとう人、盟友です。

このアルバムは、バーニーとの強い絆がテーマになっています。

エルトンとバーニー、互いの存在で救われていたことでしょう。
47年も聞いてるわりにはバックグラウンドをあまり知らず、映画を見て初めて知ったことがたくさんありました。

サントラは前もって聞いていたのですが、実際の映像をみて、あのアレンジにはこんな意味があったのか!と気づいたり。そして、曲に合わせて場面を作ったわけでもないでしょうけれど、あの曲ってそういう意味だったのか!とまったく風景が変わりました。
ちょうど今日の朝刊にこれが。

朝日新聞に連載されている、重松清先生(敬称つき)の「ひこばえ」です。
失ったら穴ぼこができる、とあります。
持っているものを失えばもちろん穴になりますが、持っていなくても、穴はできます。
そう、欲しかったときに欲しかった人から欲しかったものがもらえなかったら、それもまた穴ぼこです。
穴があると人は物を放り込みたくなります。埋めたくなります。
でも、穴の正体がわからずに物を放り込んでも、これは違う、とまた放り出されます。入れても入れても埋まりません。これが依存です。中毒です。
穴の正体を知ることは必須なのです。
見たくない穴ほど、その正体を見極めなくては依存や中毒は解消しないのです。
残念ながら、欲しかったものを欲しかった人から貰うことはできません。欲しかった人の代わりに、大人の、今の自分から、ちっちゃいちゃんにあげること、欲しかったよね、と気持ちに寄り添うこと、それが丶(・ω・`) ヨシヨシです。
映画の中で、大人のジャンキーのエルトンが、子供の、幼かった頃のレジナルド少年に、彼が欲しかったものをあげるのです。
NLPのテクニック的にいうなら、これがタイムラインです。
丶(・ω・`) ヨシヨシはタイムラインでもあるのです。
残念ながら、レジナルド少年のママもパパもそれはくれません。大人のエルトンがあげるしかないのです。
レジナルド少年は欲しかったものがもらえました。
そして、欲しかったのに貰えなかったものは、人にあげることで貰えたことになります。
大人のエルトンも欲しかったものを手にすることができたのです。
この行程を経たからこそ、リアルのエルトン・ジョンもパートナーと繋がることができたのでしょう。
長い回り道を経て、ようやく落ち着ける場を見つけたエルトン・ジョンの幸せを心底願います。
劇中にありました。あなたの曲は素直で内省的なのよ、と。
バーニーの歌詞と相まって、切なさをまとうリリカルな曲は、自身の穴ぼこと向き合って、ちっちゃいちゃんと寄り添い続けた彼ならではのものでしょう。
※親とのやりとりのシーンは結構こたえました。見られる際はお気をつけて。
エルトン・ジョンの「ジョン」はジョン・レノンの「ジョン」でした。ダブル・ジョンのパフォーマンスで〆させていただきます。

最後までお読みいただきありがとうごいます
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