一応、最終回としましょう。
3)謝りたかったのはなぜ?
↑これの続き
ハイクさんがご自分の感情と向き合って整理する工程、それはそれは呻吟されている様をTwitterに綴っていらっしゃいました。
お、浮上したか、よかった、よかった
と思えるときもあれば
ちょ、ちょ、大丈夫なん???となってしまうときも。
これはちょっとスルーできないな、という言葉がぶちまけられていたときがあり、心配のあまり声をかけました、ちょっとお話しない?と。
お声かけしてから実際に会話ができるまでの間もジェットコースター状態でしたが。
が。
お話する頃にはなんとか落とし所が見つかったようなのですよ。
話は戻りますが、私がそもそもハイクさんに目をつけたのは、就活のスタートを前にして
どうせ好きなことなんか仕事にできないし
という発言があったことと、
変わっているとか違っているとか言わないで!
という絞り出すようなTweetを目にしてしまったからなのです。
優れているがゆえに(日本において)多数派に迎合できないことを欠点と捉えていただきたくない。
好きなことを仕事にしろなどとお花畑なことを言うつもりはないけど、好きを封印してほしくない。
この2つだけは絶対にお伝えしなくては、と思ったのです。
実際にお話をうかがって、ハイクさんの生育環境での抑圧は想像以上でした。
抑えつける力につぶされてなかったのはハイクさんが自分を守るために鍛えた精神力ゆえ。
しかし、ぜったいに負けるもんか!という強力な鎧はハイクさんを守るだけでなく、他者と交わることができない壁ともなっていたのでした。
壁のメリットは守ってもらえること、デメリットは他者と交われないこと。
後者が前者を上回るようになったとき、それは問題となって姿を表すのです。
そしてそれは、守ってばかりでなくても大丈夫な時が近づいてきたシルシでもあります。
外に出ても大丈夫だよ、ヒトと触れ合っても大丈夫だよ、その時が来たよ、というシルシです。
その壁、鎧をなかなか手放せなくてみなさん苦労されるのです。
ガードを取っ払うためには、何から自分を守っていたのか、攻撃していたもの、抑圧していたものの正体を明らかにすることが必要です。
敵の正体がわかってこそ、です。
敵の正体がわかったことで陥る沼が、「私の人生返してよ!」です。
いかに非生産的な日々を過ごしてきたか、いかに自分を殺してきたか、に気づいてしまうことのショック。
これを恐れる方も少なからずですが。
が。
ここに蓋をしては先には進めません。
蓋をとっぱらう時がきたよ、というのが何かにぶつかってどうにも前に進めなくなる時です。
悩み抜いた後のハイクさんに「いまでも謝りたかったって思う?」とお尋ねしました。
「全然!!私、ちっとも悪くないですよね!!」
そうです、そうです、よかった、わかって貰えて。
ハイクさんが諸々を振り切って進もうとする時、後ろ髪をひっぱるものが罪悪感でしたが、直近でハイクさんはかなり思い切った選択をされました。親を振り切るための。
ハイクさんの物語はひとまず終了です。
頑張るしんどさ
頑張りをやめれないしんどさ
頑張りを強制したものの正体
頑張れてしまえる有能さ
頑張り続けたことで得られたもの
頑張る痛みも納得したからこそ、頑張ることで得られたものが真のリソースとなる。
これからは身にまとった鎧の強度をその時々で変化させていけたらいいですね。
鎧を脱いでもいいときがある、脱いでもいいんだ、って。
鎧しんどかったよね
でも、その鎧が守ってくれてたんだものね
ちっちゃいちゃんをね。
鎧さん、ちっちゃいちゃんを守ってくれてありがとう。
ハイクさん、またお会いできますように。土産話を楽しみにしています。