あれは何年ぐらい前だったかなあ、ガンが死なない病気となった頃、治療法が色々と確立されてきた頃、それは死ななくて済む、助かるという福音であるとともに一部の人には、どこまで頑張ればいいのか、闘病しないのは逃げなのか、ガンに倒れてしまうのは負けなのか、というさらなる追い討ちとなって苦しめられてしまうという現象が多発していました。
助かるんだ!と思えて治療を頑張れる人
まだ治療の土俵を降りてはいけないのか、と暗澹とする人
どっちに転ぶかわからない、病状や環境、資質の違いがこの2者を分かつのでしょうね。
え?私ですか?
私はヘタレポンチなので、闘病とかもう懲り懲りです。瞬殺されたい。即死キボン。
「競泳 池江璃花子が東京五輪代表に内定 メドレーリレーで」
通常ならばおめでたいニュースです。五輪推進派が大喜びです。
頑張ることは尊いのですが、だからと言って頑張ることだけが正義ではありませんし、ましてや頑張れない人が肩身の狭い思いをすることになる風潮にはなって欲しくないです。
池江璃花子さんがありえないほどグレートなのであって、「あなたも池江さんのように頑張ればきっと運命を変えられますよ」という話はしちゃいけない。
— れもんた (@montagekijyo) April 4, 2021
池江さんは心から尊敬し祝福するが、これは「池江璃花子の凄さ」であり誰もがこうでなければならないとかこうあれるということではない。またこの快挙がコロナ禍の五輪開催を正当化するものでもない。/競泳 池江璃花子が東京五輪代表に内定 メドレーリレーで | NHKニュース https://t.co/GaYzREIAHS
— ryoko (@Ryoko_is) April 4, 2021
池江選手に励まされる人もいれば、池江選手と同じように頑張ることが出来ないダメな自分、と沼る人もいるということです。
多くの人の目に触れるのはサバイバーの姿だけ。サバイブできなかった人の思いは無きものとされてしまいがちです。辛いのはサバイブできない人、サバイブできない人こそ差し伸べられるものが必要なのに。
以上、「頑張れないことを正当化する手間暇を惜しまない選手権」神戸市代表のいまぷがお届けました。