みなさんご存知のように(知らんか)持っていないのではなくて、持っていないと思ってしまってる、ってことの方が問題の根は深い。
だってもう持ってるんだから、それ以上何かを得る必要はないんですもの。
持ってないんだったら、必要なものを掴みにいくアクションを起こせばいいので(もちろん、それができない、というお悩みも多々ですが。
それと同じように(同じなのか?)もともと持ってるのに、持ってたこと忘れちゃうのも困りもの。
それは、見ないように、感じないように、意識しないように、必死でフタをして無きものとした結果。
それがあると、それが手に入らないという現実が辛すぎるから。
なかったことにしてしまう。
自分が好きなもの。
好きなものがあると辛いから。
手に入らないことが悲しいから。
好きを封印してしまう。
それは頑なに。
子供の頃のおウチの経済状態はもちろん子供の”せい”ではありません。
でも、子供は親のトラブルはすべからく自分の”せい”だと思っちゃうのです。
親を責めたくないから。
親を責めるより自分を責めたほうが楽だから。
これが罪悪感の始まりです。
子どもにそんな力あるわけないのにね。
消費社会において、お金がないこと≒欲しいものが手に入らない です。
おウチの経済状況が欲しいものとの距離を近づけてくれなかったら、そこで”好き”の芽が摘まれてしまうのです。
いえ、摘まれません(どっちやねん。
摘まれたほうがマシかも。
怖いのは、好きの裏返しで嫌いになっちゃうこと。
また小学校の頃などは持ってるブツで繋がるって関係性も多いですね。
ゲームボーイ持ってないと一緒に遊べないとか。
これまたおウチの経済状況所以ってことが多いです。
お友達と繋がる術がなかったゆえに、人付き合いにわざわざ高いハードルを設定してしまう、って習癖を獲得される方も。
お金があれば。
もちろんお金が全てではありませんが、お金がないことの弊害も多々です。
そしてそれは、決してあなたの”せい”ではありません。
おウチにお金がなかった”せい”です。
おウチにお金がなかった原因、それはいろいろですね。
お父さんが飲む・打つ・買うのロクデナシだった。
お母さんが宗教にはまっていた、etc、etc。
いたいけなちっちゃいちゃんは、それすら自分の”せい”にしちゃうのです。
すごいですよ、お父さんを飲む・打つ・買うに走らせるために、いかに自分が悪かったかという物語の捏造っぷり。
お母さんを宗教に走らせるためにいかに自分が悪い子だったかと自分のみならず他者にまでそう思わせてしまう啓蒙力(違。
悪くない、あなたはちっとも悪くない。
おウチにお金がなかったから、好きなものとも好きな人とも繋がれなかったよね。
好きなものや好きな人がいるってこと忘れてしまってたよね。
ガッツリ”好き”にフタをしてしまってたよね。
丶(・ω・`) ヨシヨシ
フタを取っ払うお手伝い、コネクトロンがさせていただきます。
↓こちらの記事に触発されました。コネクトロンでも遭遇頻度の少ないケースです。