◯○を手放した寿司職人、寝たきりから脱却成功!

朝日新聞に「窓」というコーナーがあります。

市井の人々のちょっといい話を綴っているのですが、本当に「ちょっと」もあれば、神様ってすごいシナリオ用意してるよねー、というお話も。

「窓」をよく担当されているのが上原隆さんです。

ちっちゃいちゃんの物語

↑上原さんについて触れております。

直近の「窓」は

皿に口をつけて食う
腕が動かなくなったすし職人、
復活への執念

寝たきりの難病になりすし職人をあきらめるも、周囲からの励ましで復帰を目指して手術を受けるが、腕が動かなくなった。

妻の介護がないと食事もできなくなる。初めての食事の介助、妻は思いました、「これから人生をかけて夫の介護をする。その、ひと口目や」と。

さ、ここが今回の気づきポイントです。

だが誠治さんは拒否、泣きながら言った。
「こうして食べさせてもらったら、ボクは一生、キミの介護がないと生きてられない気がする」
誠治さんは口だけで皿の料理を食べた、犬や猫のように。

奥さんは役割をやってしまいそうになりました。

それが「介護する人」です。

奥さんが「介護する人」という役割をすると、誠治さんは必然的に「介護される人」という役割をふられてしまいます。

誠治さんはそれを拒んだのです。

「介護される人(寝たきり)」という役割を避けるために、奥さんに「介護する人」という役割をさせなかったのです。

これ気づけるのすごい!!

役割という考えのいいところはですね、それを手放せるということです。

ドラマの役を自分で選べるようなものです。やりたくない役だったらしなくていいのです、止めていいのです。

相手をどうにかすることはできませんが、関係は自分で変えることができるのです、役割を選択することによって。

例えば手がかかる夫、妻は「世話をする人」という役割をやって、その相方として夫は「世話をされる人」「世話が必要な人」という役割をせざるを得なくなるのです。

だって、私がやらないと何もしないんだもの、とおっしゃるそこのあなた。

役割のいいところ、手放せることです。

いち抜けた、をすればいいのです。

世話をする人とされる人の茶番劇なんてやってらんないわ!と舞台を降りるのです。

世話をする人がいなくなったら、世話をされる人の存在意義もなくなります。

めでたし、めでたし。

すし職人の誠治さんはまさに役割の「いち抜けた」をすることで、寝たきりにならずに済んだのです。

変えたい関係があれば、その関係において自分がどのような役割をしてしまっているか、考えてみてください。

気づけたら次は、違う役割の選択です。

演じて笑顔になれるような役割をなさってくださいね。

最後までお読みくださりありがとうございました✨
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