10)○○の家〜溺れる者は藁をも掴む

持病発症してしばらく、会社勤めは続けてオリました。家の近所の会社を選んだつもりが、大阪や和歌山の最果ての地にばかり出向で行かされてオリました。とある会社に出向に行かされてる時、ふと気がつくとメガネの左のレンズばかり汚れるのです。なんだろ、と思っていたら、それはどうやら涙であるとわかりました。瞬きした時に涙がレンズに飛ぶのです。

なんだ、これ?と思っていたら症状はどんどんひどくなって、しまいには目から膿がでてきて顔の左半分が腫れてしまったのです。これ、絶対におかしいよね、と出向先の帰りに通りすがりの眼科にとびこみました。

ああ、これは鼻涙管閉塞といって涙の管がつまっとんのや、管とおしたらしまいや、と。

涙腺がゆるい、という言い方をしますけど、涙が出るのは涙点といって上記の画像でいうなら4の部分です。4の涙点から出た涙は3から出て行って鼻に通っていくのです。その3の部分がつまっているというのです。

施術台に寝かされ、看護師さんがやってきました、ちょっと痛いけど我慢してね、と言うので、痛いんですか?????と思わず身体を起こそうとしたら両肩と頭をおさえこまれました。

やってきた激痛。脳内イメージは3の部分に五寸釘を打ち込まれている感じです。ほんまに金槌で釘を打ち込むようにカンカンカンって打ち込んでいるんですよ!!!!痛さで声も出ません。そのまま15分ほど放置されました。顔をちょっと動かすと、身体の中に打ち込まれている釘(?)がゆらいでまたまた激痛です。

さあ、抜きましょね、と抜かれたものの、じゃあもう1回、とまたまたカンカンカンと打ち込まれました。

拷問とも思える激痛にヘロヘロになり、満員電車の中ベソベソ泣きながら帰りました。血の涙といいますが、ほんとに目頭からは血が流れ出してました。帰宅して鏡みてみたら、左の目頭にパックリと穴が。それ見たら、気が遠くなりそうでした。

あんな病院もう行けない、と知人に神戸の眼科の権威を紹介してもらい受診。経過を説明したら、ああ、これこれあんなんされたんか、と。またあれされちゃうのか、と思ってまた泣き出してしまったのですが、ドクターが「泣くな、泣くな、痛かったんやなあ、あれは古い治療法なんや、生まれたばかりの赤ちゃんの鼻涙管が膜はって詰まってる時は膜に穴を開けるためにやるんやけど、きょうび大人にそれやるとこはないわ。あんた、下手なとこにはいってしまったんやな、かわいそうに。」と。なんせ炎症が治まるまで待って、それから検査や、ということでした。

その病院は和田岬(ローカルですまん)、通うの結構たいへんでして、さすがの私も(どうさすが?)すっかり参ってしまったので会社には遠方への出向を断りました。快く受けてくれたけど、私が行かなくなったせいで会社が傾いたのではないかと思ってます。ごめんね、社長。せっかくいい取引先みつけたのに。

検査の結果、鼻涙管がつまったのは顔が麻痺していたせいだと判明。顔の筋肉が動くことで涙を鼻涙管に押し出しているのに、それが出来なかったので詰まってしまったとのこと。鼻涙管に金属のパイプを埋め込む手術をしないといけないと。でも私はまだ若いのでそれをやっても肉が盛り上がって埋もれてしまう怖れがある、だったら対症療法でお茶を濁しているほうがマシだ、と。

鼻涙管に針を差して薬液を通すんですけど、詰まってるから溢れるんですね。大丈夫な右側だったら、薬液は鼻に通っていって味を感じるんですよ。目と鼻と喉って繋がってるんだなってよーくわかりました。その処置だけのためにわざわざ和田岬まで通ってらんないので、近所の眼科を紹介してもらいました。そして寸暇を惜しんで通う日々が始まったのです。

会社も休んで、しばらくは自宅待機。家に居て食べるだけだからさぞかし太るだろうな、と思っていたら、堅気な食生活をしたためかスルスルと痩せましたよ。この時はじめて、食べることって大切だな、と思えました。

凹みまくっている私に、会社の方から◯◯の家を紹介されたのですよ。まさに、何が、ではなくて誰からか。私より年上で才媛で切れ味鋭いナイフ以外の何者でもないその人からの紹介だったからこそ、私は◯◯の家に足を運んでみようと思ったのです。

なんたって私はやるときはとことんやりますからね!◯◯の家の大倉山道場に毎日早朝通ってましたよ。普通の宗教のようにぼったくられることはなかったですが、読まないといけない資料が山のようにあって、その代金が馬鹿になりませんでした。病気の方、借金が山のようにある方、子どもが不登校の方、いろんな方が来られてました。あんま宗教って感じはしなかったな。みなさん私のことをとても心配してくれて、祈りを捧げるとかってこともしてくださってたんですが、いかんせんそこの教典がちょっとアホらしくてですね。読んでても、なんだかねー、って感じが拭いきれなかったのです。

なんでこんなもん読んであれやこれやせなあかんのですか、と言ったら、教祖さまはこれをやって救われた、悟りを開かれたのだ、だったら同じことしないといけないでしょ、と言われ、それもそうかとは思いましたが、どうにも感情移入できませんでした。

しかしある日、いつものように眼科にいっていつもの処置をして貰ったら、なんと薬液が通ったのですよ!!薬液の味を感じたのですよ!!ドクターもびっくりして、あんた何したんや、マジナイかなんかしたんとちがうか?と言うので、ああ、これが治るというのはほんと余程のことなんだな、と思いました。

治るはずのないものが治ったのだな。何が功を奏したのかはわかりませんが。

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溺れる者は藁をも掴む(11)〜明元堂

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