賽の河原に石を積むのが大好きです♪

Twitterで繋がっている方はご存知にように(知ってるよね!)私はDuolingoという英語アプリを毎日やっています。

今日で連続296日目です。

こういうのが(どう?)やめれないんですよ!

以前は神社に1年間1日も休まずに通ったし、滝詣は体調不良で休んじゃったせいですっかりやる気が喪失したけど800日近くまで日参したし、こういうの(どう?)大好きなんですよ。

最近は朝活書写なんてのも始めちゃって。

みなさんご存知のように(知らんか)昨日まで高岡に一白していて、この書写ノートとペンも持参したんですよ(結局、できんかったけど。

継続は力なり、なんて別に達成したい目標があるわけでもなし、継続日数を伸ばすことだけに喜びを感じるみたいな。

続いてて偉いねー、って言ってくださる方もあるんですが、何かをなしえたわけでなし、ほんとただ続けてるだけなので、褒めていただいても受け取るものがありません。

滝への往復は1時間以上かかるし、Duolingoもランキングを意識したら1日に1時間じゃ足りないんです。

時間管理がどうにもうまくいかんなあ、と時間術の達人に助けを求めました。

滝と英語に時間取られちゃって
やめた方がいいですかね

滝は健康にいいし、
英語も成果が出てるんでしょ
やめなくていいじゃない

タメになることしてるって思えないんですが、
でも、やめられないんですよねー

なんでいいことしてるって思えないの?

と、問われ、咄嗟に私の口から

続けるだけって頭使わなくていいじゃないですか
難しいことも大したこともできないから
せめて続けるだけでもしようかな、って
だから止めれないんですよ

という言葉が出てきてびっくり。

えー、私ってまだこんなこと思ってるんだ、と、自己肯定感の低さにうんざりです。

もともと私は賽の河原に石を積むような作業が大好きでして、小さい頃は算盤で

1+2+3+4+ という足算を1万まで続けるということをよくしてました。

今なら発達障害とか言われるんですかね。

内職みたいな単純作業を延々とするのが大好きなんですよ(今でも。

絡まった毛糸玉をほぐすとか、ぐちゃぐちゃになったもの順番通りに並べ直すとか。

ああ、こんなに忍耐力があったのになぜ今は短気なんだ。

なぜこんなチマチマしたことが好きなのか、それはわかりません。どうも祖母に起因するような気がするんですが。

しかし母は、私のこういうチマチマしたところを忌み嫌ったのです。

色別大きさ別に分類してあったビーズの容器がひっくり返って散乱、それをまたチマチマと分け、糸に通すということを嬉々としてやっている私に「単純作業が好きな奴隷根性」と言い放ったのです。

チマチマ作業を好むようになった原因はわかりませんが、チマチマ作業に意味を見出せないのは、母が原因でしょう。

何も考えずにひたすら同じ作業を続ける、継続する、継続した結果成果や評価があったとしても、それを受け取ることができない。

これは間違いなく母の”せい”ですね。

チマチマしたことずっとやっててもいいんだ、と腹の底から思えたなら、その成果を受け取ることができるようになるんだと思います。

私がかように今ある現象の原因を過去に求めると、「またお前は昔のことのせいにばっかして」としばしば非難されます。

でもさ。

他にどこにどんな原因があるっていうの。

ダメな自分って責めるより、他に原因を見つけた方がいいじゃないですか。そのおかげで自分を責めなくて済むようになれるんなら。

自分のやってること、肯定できるようになるのなら。

他の方法があるなら、教えて欲しいです。

さ、これからはチマチマ作業の継続がどんな成果を私にもたらしてくれるかな。楽しみ❤️

最後までお読みくださりありがとうございました✨
ブログランキング・にほんブログ村へ 
⬆︎ポチッといただけると励みになります♪

この記事をシェアする
関連記事はこちら
アーカイブ