これがなんか引っかかって、残してたんですよ。
新しい連載小説「知恵出づ 江戸再建の人」 門井慶喜さんに聞く…僕らは常に復興の中にある、と : 知恵出づ 江戸再建の人 : 連載小説 : 読売新聞オンライン https://t.co/SaMmmAIC4d #いまぷ自分メモ
— 気持ちと身体のモツレをほどく/今庄和恵@神戸元町コネクトロン (@connectronkobe) April 22, 2021
七転び八起きみたいな感じですかね。転ばないことなんてない。生きてる限りなんかある。
生きているなら。
常に復興中、完成して終わりってないよ、と思ったのです。
オチになるものと今朝遭遇しました。
生き続けるって逃げ続けること。作家の田中慎也さんのテキストです。不勉強ながら知りませんでしたが、これはずっと主張されてるのですね。
復興の途中、ということはこれから先がある。
生き続ける、ってもちろん明日がある。
どうせ明日も生きてるなら、たとえ死ねないから生きているであったとしても、どうせ生きてるなら。
と、ここまで書いてちょっと行き詰まる。
タイトルは最初「あなたの中のちっちゃいちゃん」にしようと思ったのです。
復興し続けることを、逃げ続けることを厭う人もいるだろうな、でもそれは、ヨシヨシという行為そのものなんだよ、と。
復興は終わらない、生きるために逃げなくてはいけないこともある、それはいわばちっちゃいちゃんが声をあげてることなんだよ、と。
ちっちゃいちゃんが姿を表してくれることの意義は、ヨシヨシができること。
ヨシヨシしなきゃって気持ちを持てること。
それはもちろん自分だけに対してじゃなくて、自分以外の誰かにも。
復興が必要ということは、破壊されたものがあるということ。
逃げるということは逃げたいくらい辛いことがあるということ。
破壊されてイヤだったよね
逃げたいくらい辛かったよね
丶(・ω・`) ヨシヨシ
ヨシヨシは生きてる限り続けていく作業。ちっちゃいちゃんは居なくなることなく、いつでもあなたの一番の味方です。
あなたがちっちゃいちゃんの一番の味方であるように。
どうせ明日も生きているなら、明日のためにヨシヨシを。