かつて郷先生のとこのセミナーに参加した時のことです、男らしいってどういうことだと思う?って質問がありました。
頼りがいがあること
包容力があること
ひっぱっていってくれること、等々
誰もが思いつく事ってこんなとこですよね。私がいつも使う「パートナーに求める3つの要素」
そこでも、こういうことを揚げられる方が多いです。
私が答えたことはもちろん違いますよ。
で、私の答えだけが郷先生から合格を貰えたのでありました。
さて、私が答えた「男らしさ」って一体どんなことだったでしょうか。
それは「自分の弱さを否定せずに受け容れていること」でした。郷先生から質問を投げかけられた時、これが出来ている知人男性の顔がぱっと思い浮かび、そうか、あれが男らしいってことなのか、と気付かされたのでありました。
虚勢をはらず、自分がスキとか言わなくて、できないことはできないと言い、でもそれに対して卑屈になったりしていない(ここ、重要!)、無理のない範囲で人に力は貸す、もちろん力を費やすべき時は集中する、等身大ってこういうことを言うんだな、って思いました。
一昨日のぐるナイ、芸人さんの婚活ってことでいろいろやってましたが、ダンスのお稽古のとこで、女性がパートナーとして選んだダントツが天野でした。女性たちは、そのまんまカッコいい、当たり前にカッコいい、と手放しで絶賛でしたよ。ま、天野はダンスをやってましたから上手なのは当たり前ですけど、他の芸人さんと比べて、オドオド感オロオロ感、そう卑屈さを感じさせるものがまったく無かったですね。
これよ、これ、卑屈。私は人間の感情でこれが一番うっとうしいんじゃないかな、と思ってます。自信がないのはいいんですよ、自分が嫌いなのもよしとしましょう、でも、それが卑屈にシフトしちゃうとダメです。
【卑屈】(三省堂、大辞林より)
必要以上に自分を卑しめて、他にへつらうこと。おどおどしていじけていること。また、そのさま。
みなさんご存知のように(知らんか)、かつての私は重症の自分キライ病でなおかつ卑屈が服を着て歩いているような人間、そう、ウォーキングディクショナリーならぬウォーキング卑屈だったわけですが(なんだ、そりゃ)、自分キライ病仲間の友人がですね、私は自分が嫌いだけど卑屈ではない、と言ったのが衝撃でして!!えー、自分キライ=卑屈じゃないのか、と。
自分を自分以上に見せようとするから、不自然な言動となる。
自分キライ、ってだけなら自分の価値観ですが、卑屈になると他者の視線を気にする事となる。そう、人目を気にしてオロオロキョロキョロしちゃうことが卑屈なのかなー、と。自己評価を他者視線に委ねる。
そう、だから卑屈な人は需要がないんですよね。自分の自信の無さを人にどうにかしてもらおうと思ってるからさ。でも、自信のなさを堂々と晒すことができないから、見え隠れするものがそれを見ちゃった人に痛い感を感じさせてしまう。
ナイナイの岡村がまさにこれですよねー。どっかの番組でガチのお見合いやってたじゃないですか。もう、見てらんなかったね。いいからウチに来い、ちゃんと女と付き合えるようにしてやるから!って思っちゃったよ(いや、マジで)。
沢尻エリカのダンナは好ましい存在ではないですが、己のルックスの不備にとらわれず、上玉を手にして堂々としていたのは素晴らしいことだったと思います。
仕事って自信をつけるのにてっとり早い手段ですよね。ま、それをカサにきたりされても困りますが。
これまた書いててケツが痒くなる手垢のついた言葉、「そのままの自分でいいんだ」「ありのままでいいんだ」ってのは、変わらなくていいってことじゃなくて、まずは現状を冷静に把握して、足りない部分があるからといって自分にダメ出しをしない、足りなければ増やせばいいし、それが出来なければ出来ないなりのやり方を考えればいい。やるべきことは、あくまでイヤな部分にフタをすることなく、自分を冷静に客観視することだと思うんですけどねー。これもしつこく言ってることですよねー。
フタをしないことで、イヤな部分に向き合わされる事もあるでしょうけど、当然、こんないいとこもあったんだ、って発見になりますもんね。
ちなみに、私の元配偶者は自分の弱さを受け容れられないことこの上なしの九州男児でありまして、私は自分の弱さを認められない男性に対して、そんなことないよ、大丈夫だよ、ちゃんとやれてるよ、とかって言い続けることに力尽きたのでありました。弱い犬ほどよく吠える、暴力行為ってのは自分の弱さを隠すための蓑でしかないですよね、ほんと。
さあて、じゃあ「女らしさ」っていったい何だろう????
続く(かも。