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アンケートでも触れられているように、こちらの方は最初は無料リーディングにお申し込みいただいたのですよ。
改めて読み返して、ふんふん、なるほどね、まぁ的外れな答えでもなかったよな、と(ない)胸をなで下ろしています。
もちろんおかあさまがセッション受けたい、とおっしゃったわけではありません。ななさんが、長年繰り返されてるご夫婦の問題でおかあさま自身が疲弊されていることに対して、なんらかの解決策になるかもよ、とコネクトロンのセッションをおかあさまに勧めてくださったのです(アリガトウゴザイマス!!)。
おかあさまの命式、傷官格で、なおかつ食星も豊富にお持ち、これはバリバリとんがった方だろうな、との予想を裏切らず、その言葉は非常に理路整然と明確で容赦がありません。時代のなせるわざもあり、ご多分にもれず一編の小説となるような苦労をてんこ盛りでされているのですが、持って生まれた傷官ならではの感覚を生かすということをまったくといっていいほどなさっていないのが何より不思議だったのですよ。
おかあさまには、ご自身の実母さまとのそれはそれは切ない出来事がありました。おかあさまがご自身の感覚を生かさないこと、それは自分への戒めだったのです。自分の感覚を活かさないことだけではなく、あらゆる幸せを自分から遠ざけていらっしゃいました、まるで自らを罰しているかのように。
幸せでないことのすべてが、一番身近にいるご主人さまとの関係に集約されていたのです。
おかあさまはまさに「愛を乞う人」でした。自分の母をずっと求めて、自分自身が母であることよりも、自分の母の娘であることのほうがご自身のアイデンティティとして比重が高かったのです。
70歳をすぎても、求めるのは夫ではなく娘ではなく、自分の母親だったのです。
自分を見てくれない母親というのは、ななさんにとっても寂しいものだったでしょうね。それがななさんの問題の根っこになっている、とわかったのはななさんのセッションを終えてからです。
体調が心配だったのでかなり急いでやりました。トランスもちゃんと入っていただき、9歳から80歳までのタイムラインもやっていただけました。セッション後の宿題も早々に済ませていただき、宝の持ち腐れとなっていた生来のセンス、美意識を発揮していただくことにも着手していただけているようです。
もう、娘を夫婦喧嘩の仲裁役にする必要はないのです。
さ、次はななさんのセッションです。
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