終)好きな漫画をdisられた子の末路 〜 土俵を変えよう

これ↓の続き

3)好きな漫画をdisられた子の末路〜トンビが鷹を産んだ

お待たせしました、「親からdisられた自慢選手権」開催ですよー。みなさん自慢のネタを聞かせてくださいね!
私もネタには不自由しないのですが、いくつかご披露。

・お気に入りの服を「似合って着てるつもりなの?」と言われた
・いろんな商品のロゴを切り取って集めていたのだけど、そのことに対して、頭がおかしい、と言われた
・切ったり貼ったりチマチマした作業が好きだったのですが、友達いないからそんなことしかすることがない、と言われた(友達いないのは事実でしたが
・チマチマ作業の延長で帳簿つけが好きなのですが、母の苦手なそれを手伝っていたら、あんたはほんまに事務屋やな、奴隷根性の、と言われて、これはまったく意味わかりませんでした。
・レイプされたらよかったのに、と言われた
・好きな漫画を勧めたら、キチガイだ、と言われた(ちなみに「動物のお医者さん」)

コネクトロンにお越しのお客様にも、親からdisられたことが呪いとなってそれに縛られている方の多いことよ。
呪いの言葉 = ビリーフ
持っているビリーフとはドラマのシナリオです。自分の人生はそのシナリオどおりに進行してしまうのです。
親にdisられた子が自己評価高くなるはずもないし、評価されたい病に罹患してしまうのは当然ですが、私はそれらにくわえ、自分の趣味趣向は人から理解されない、というものがインプットされてしまったようです。自分の嗜好の理解を他者に求めない、理解されなくて当然だと他者との迎合を拒むようになる。
で、他者と迎合できない自分の嗜好は決して貶めることはなく、なぜか自分の選択眼はいけてるという妙な自信があるのですよね!これ、自分でも不思議。
さて、私がAさんに着目したのは、自分disりがすさまじく名人芸の域だったことに感嘆してしまったからです。

切り返しの鋭さ、豊富なボキャブラリー、Aさんの才能が自分disりにばかり発揮されてていいのか?もったいなさすぐる!!ご縁がつながってから何年かになりますが、最近とみにその名人芸に磨きがかかりましてねっ。
つまりそれは、Aさんの切り返し力、ボキャブラリーに磨きがかかったということです。
こんだけの表現力とお持ちの技術があればどんな仕事でもできるやろ、と思ってしまうのですが、Aさんを経済的安定につなぐお仕事との縁がなかなか繋がらないのは、しっかり自立できてしまったら故郷は頼るというその役割を失ってしまうからですね。
これも納得の図式なんですが。
が。
私が何より不思議だったのはですね、Aさんの納得のサブカル嗜好ではなくて、Aさんが実にハイスペックな常識人・教養人であるところなんですよ。なぜこの2つが両立できているのか。
Aさんはもともとはサブカルテイストに目が向いていましたが、親御さんからまんまそれをdisられてしまったのですよ。読んでた漫画を、そんな漫画読まずにもっと違うものを読みなさい、と。
じゃあ、ということでAさんは親が泣いて喜ぶ優等生カルチャーまっしぐらとなったのです。ここが出来る人の辛さですね、Aさんは馴染みのなかった正統派教養もなんなく自分に取り込むことができて、なおかつそれを深化・進化させられたのです。
で。
ここで押さえつけられた自我が自己主張しだすのですよ。自我はですね、自負や矜持となってできる己をアピールするのです。

参考エントリー:自負とか矜持とか

私が自分の選択眼に自信があるってのもこれですね。抑えつけられているからこそ、本音の「どや」が顔を出すのですよ。
Aさんは自分を相容れないものをことごとく、バカなやつら、物の価値がわからないバカどもめ、とdisるのです。自分と相容れないものの存在を許せないのです。
私の愛するコレクターズを例にするならですね、私は目の前の人がコレクターズを知らなくても、嫌いでも、別に構いません。嗜好は人それぞれだから。聞く耳のないやつ、とも思いません。まー、好きになってもらえるにこしたことないですけどね。勧めて好きになってもらえる可能性も低いと思うので、薦めたりもしません。その方のもともとの音楽性に近しいものがあるとわかっているなら別ですけどね。
Aさんね、故郷のマイルドヤンキーたちには自分の美意識・教養を共有することは端っから求めていらっしゃらないのですが(disるのはdisる)、これがまた不思議なことにですねー、おかあさまに自分の好ましいと思っているものを薦めたり紹介したりなさっているのですよ。
わかってくれるはずないやん
否定されて、disられて、傷つくのわかりきってますやん。なのに、なのに、ねえねえおかあさんこれね、と紹介して返す刀で切られてしまうということばかりやっていらっしゃるのです。
傷は新たに作られてばかりなので、癒える暇がありません。自分の嗜好美意識を自分で認められる機会がありません。
でも。
自我、自負は抑圧されてばっかを己に許さないのです。まさに、自分をあげるかわりに他者を堕とす=disるのです。
相手をdisらずに、自分の持ってるものの良さを認められたらいいだけなんですけどねー。
それがどうしてもできないのは、認めて欲しかった人が認めてくれないからです。
Aさんの需要、Aさんが勝者となれる土俵はよそにいくらでもあるのに、自分が勝てる土俵に立つことはなさらず、ほとんど違うルールの勝負を勝てない土俵でし続けていらっしゃるのです。
わかってくれなくてもいいんです。
そう、あなたはそれが好きなのね、と認めてくれるだけでいいですよね。
さて、どうにも価値観を共有できない人とお付き合いをするための魔法の言葉があります。

参考エントリー:

Aさんには認めて欲しかった、という巨大な穴ぼこがあるので、どうしても「ねえ、ねえ、これいいでしょ?」から逃れられないのですが、自分のセンスをアピールしたい場合はちょっと頑張って、「これ、いいでしょ?」ではなくて、「私、これ好きなんだ」にそれこそリフレーミングしていただいたらいいですよね。
自分を好きになるには、自分のまわりを自分の好きなものでいっぱいにしたらいい、と言ったのはドリアン助川。
Aさんのまわりには、Aさんの好きなものはいっぱいあるのです。そのジャッジを人に求めてはいけないのです。人からのジャッジがAさんの大切なものの価値をも貶めてしまいますからね。
自分をあきらかに傷つける人には極力近づかないこと。傷が乾くまではこれしかないっしょ。
カサブタがしっかりと乾燥したなら、ちゃんとした鑑識眼を持たない人の評価にいちいち傷つかなくて済むようになりますよ。
勝負の土俵を、居場所を変えましょう。まずはね。

最後までお読みくださりありがとうございました✨
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