「大人のくせに」
このフレーズ、どんな時に使いますか?
大人のくせに子どもみたいなことをする
子どもじゃないのに子どもみたいなことをする
大人になったら子どもと同じことしちゃいけないんですね。
子どものやるべきことは子どものうちに済ませておかなくちゃいけないんですかね。
済ませておけたらいいですよね。
子どものうちに子どもがすることを済ませておけなかった人はどうなるんですかね。
https://www.tv-asahi.co.jp/kotaro/
コタローくんと幼稚園の仲良しさんに睡眠障害っぽい症状が出て困ったことに。
担任の花輪先生(男性)は自分の幼少時を思って心配をする。
つまりは家庭でのストレス(親との関係)がちゃんと眠れない状態になっていたのだけど、親のことについ思いを馳せてしまったことに花輪先生は
大人になっても(大人のくせに)子ども時代のことを引きずってて情けない
と、コタローくんに気持ちを吐露するのです。
未完了だから引きずっているのではないですか!!
年相応の健全性
年相応であるということは必要なことなのですよ。
その年齢でしかできないこと、
その年齢でしか体験できないこと、
その年齢でして貰わなくてはならないことがあります。
それを得ることができなければ、未完了となってしまいます。
穴ぼこといってもいいかもしれません。
おなじみビジョン心理学の成長の三角形です。
依存の時代に十二分に他者に依存することができなかったら(間違った女性性)次の自立の時代に肩肘はった状態(間違った男性性)となってしまいます。
そして相互依存(パートナーシップ)の時代にはたどり着けないのです。
子ども時代に依存しておくこと(甘えること)は必要なのです。
甘えることができなかった人が、パートナーシップにたどり着けていないことが殆どです。
子ども時代のことを引きずってしまっているという花輪先生には、子ども時代に欲しかったのに貰えなかったものを手にしていただく必要がありますね。
それが叶わないならば、せめて「欲しかったよね、丶(・ω・`) ヨシヨシ」と。
ガマンできると平気は違うのです。
欲しかったのに手に入らなかったことをずっとガマンして大人になったとしても、それは気持ちが傷ついていないこととは違うのです。
傷はあるのです。
欲しかったよ、と。
大人のくせに、という言葉こそ、傷ついた子どもがまだそこにいるということの証です。