あ、私のコンプレックスもいっこあった。
食の素養に乏しいこと。
原因はわかってます、食卓が万年ちゃぶ台返しだったからです。
食べることの裏側にあったもの
食べることが好きな人、食と丁寧に向き合えている人に憧れます。
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2)コンプレックスはなぜできる?
ESさんが夫さんから求められた作業、多分もともとは好きでも嫌いでも苦手でもなかったと思うのですよ、経過をうかがう限り。
数年前、その作業に近しいことを私がESさんに提案したのです、すると意外なほどに強固に拒まれたことがありました。
それを思い出しました。絶許だったよね?なんか意味があったの?とESさんに尋ねました。
ESさんがとある作業をした
↓
その作業を得意とする第三者が悪意とともにESさんの作業をdisった
↓
ESさん、傷ついた
問題は作業の中身です。
その作業はどちらかといえば裕福な家庭の子女が多くたしなむものでした。
つまり、第三者がESさんをdisったというのは、自分の生まれ育ちの豊さを笠に着たということです。いわばマウントです。
単にできないことをdisられただけならESさんもこうは反応しなかったでしょう。
第三者が己の優位性を、それも本人ではどうにもできない単なる既得権をひけらかしたことで、その作業ができないということはESさんにとって「コンプレックス」となってしまったのです。
ただ「できない」だったら、ファイターのESさんはその技術をガッツで習得したか、もしくは「別にできんでも何も困らんわ」となったことでしょう。
恵まれた家庭の子女にはあって自分にはないもの、得られなかったもの、それが得られなかったのは自分の責任ではないのに、そこを劣っていると他者から指摘されたことはコンプレックスを刺激されることとなったのです。
ESさんの人生も、毒親としかいいようのない存在に翻弄され続けたものでした。
第1回毒親選手権〜タンスママ
毒親ゆえに苦労して獲得したものがある、これはESさんの矜恃です。
しかし、毒親ゆえに獲得できなかったもの、むしろ傷を負わされたもの、それを他者から「持ってないやん」とマウント喰らわされるのはコンプレックスを刺激されることとなるのです。
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終)コンプレックスはなぜできる?