人間関係断ち切ってしまう[読売新聞人生案内]

主旨)人生案内をネタに好き勝手書く

50代後半のパート男性。妻とは10年前に死別しました。人付き合いについての相談です。

私は友人との人間関係をリセットしてしまうことがあります。いつもというわけではありませんが、親密でいろんなことを包み隠さずに言える人との関係を突然、終わらせてしまいます。

最近も友人からのあるひと言に「もうダメ」と感じて、一方的にLINEで「これで終わり」と書いて送ってしまいました。互いに言い分があることは理解していますが、相手が、自分が設定した線を越えると、一方的な行動を取ってしまうのです。

高齢者となっていく上で、友人や心許せる人は大事にしたい、友人とはできれば悩みを分かち合いたいと思う一方で、物と同じように人間関係も取捨選択していけばいいとも考えます。相反する考えに戸惑います。

仕事では、人と近からず遠からずの距離感を保てています。(三重・C男)

こんにちは
あなたの罪悪感を消滅させる
ヨシヨシする人ヨシヨシスト
いまぷ です。

これ言うと顰蹙なことあるんですが、用途別付き合いでいいと思うんですよ。

仕事のことを話せる相手
恋愛の相談ができる友人
誰にも言えないことを聞いてもらえる人
等々。

みなさんご存知のように(知らんか)私は親友という言葉がたいへん苦手なのですが、用途別ではなく全てを任せられる感、それは当然のように自分も相手の全てに対応する力が求められるというプレッシャー。

>物と同じように人間関係も取捨選択

これは別にいいんじゃないですか?

強いていうなら、終わらせ方、伝え方なんでしょうね。

>一方的な行動

これはつまり、キャッチボールが出来ていないということ。

キャッチボールができない状態とは

・自分のボールが相手に届かない
・相手のボールを受けられない

C男さんにとっては、相手の投げたボールでデッドボール並みの破壊力を感じさせられて、とてもグローブを構えて待ってらんない状態なのかもしれませんね。

それは流行の言葉で言うと(流行なのか?)「認知の歪み」です。

たとえ軽く投げられたボールであっても、それが自分にぶつかったら非善意がベースの攻撃と捉えてしまう。

受け止められないボールを投げて寄越されたら、もうダメだ、になっちゃう。

それはデッドボールの痛みが残っているからです。

うまくキャッチボールを続けなくてはならない、と思ってしまってるからです。

デッドボールで痛い目をしてしまったのはいつだったか。

キャッチボールを長く続けられないことを揶揄されたのは何歳の時だったか。

C男さんには絆創膏を貼ったぐらいではごまかせない傷がまだ痛んでいるということです。

誰もが敵に見えてしまう、傷つきやすい繊細な存在、それがC男さんの正体です。

まずは恐れさせられているものの正体を見極めることから始めてみませんか?

傷つくことに怯えていたこれまでのご自分を、労ってあげてください。

回答は 海原純子(心療内科医) さんです。

ハリネズミ理論というのがあります。ハリネズミは相手との距離が近すぎると互いの針で刺してしまって痛いのですが、離れすぎると寒いのです。仕事関係の人とは違う、ほど良い距離感をプライベートでも作っていくことが大事かと思います。

ハリネズミじゃなくてヤマアラシね(重箱の隅をつつく

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