コネクトロンのセッションを受けてくださって、ご自分がどのように傷ついていたかがわかったら、同じことを自分の子どもにしてしまっていないか、と気に病む方が頻出です。
まあ、なんかかんかやってますよ。人間だもの(みつを。
いえ、やってません(どっちやねん。
100%親が善意でやったことでも、子どもにとっては害でしかない、ということは珍しくありません。
そのことについて子どもが「親にこんなことされちまった」と嘆いたとしても、親のやつめ!と恨んでいても、そのことについて親のあなたは自分を責める必要ありません。
コネクトロンは傷ついた人をヨシヨシする場であって、傷つけた人をジャッジする場ではないからです。
親にこんなことされた、と嘆く子には、そんなことされて嫌だったよね、とヨシヨシします。
そんなことをした親に対して、私は何もできることがありませんし、された子当人さんにも、それを親には訴えないで、とお願いします。
なぜなら、返り討ちにあう恐れが高いからです。
ヨシヨシがちゃんと完了していないうちは。
なので、自分で自分(ちっちゃいちゃん)をヨシヨシしていただく必要があるのです。
欲しかったものをほしかったときに欲しかった人から貰えなかった欠落感、それをコネクトロンでは「穴ぼこ」と称しております。
穴ぼこはね、巨大隕石によってできたものばかりじゃないんですよ。
乾いてないコンクリートの上に猫がつけた足跡とか。
キレイに塗ったペンキが乾く前に、髪の毛が一本落ちて、そのまま乾いちゃったとか。
気がつかなければ気がつかないでもいい、ま、いいか、と流してしまえる程度のことだったりもするのですが。
その些細なものこそが欲しかったものであったなら、それを上げれなかった方は自分があげれてなかったことになんて気づけないし、それをもしも恨みがましく言われたって、なんで?ってなっちゃう。
ま、それが嫌やったっていうんやったら、誤っとこか、みたいな感じで、これがまた子どもの心を傷つけてしまうことになる。
だから、こんな穴ぼこがある、ということを、穴ぼこ作った人に訴えていただきたくないのですよ。
それはもう、誰が悪いわけでもないのです。
ただ、傷ついた、という事実があるだけ。
だから、「痛かったよね」「イヤだったよね」とヨシヨシするしかないのです。
子どもが転んだ時に、「痛くない、痛くない」ではなくて、「痛かったよね」と声をかけてください、とお伝えしております。
痛くない、と言ってしまっては、子どもは「痛いと思ったらあかんのか」となってしまうからです。
明るい、深刻ぶらないお母さんっているじゃないですか。
ダイジョブ、ダイジョブ、でなんでも片付けてしまうの。
それが功を奏する時もあるのですが、内心「大丈夫じゃないのに!」と吠えているやもしれません。
そして20年後、ダイジョブダイジョブ、と言われた子はコネクトロンのセッションで「転んで頭うった時に、お母さんから”大丈夫、大丈夫”って軽くいなされたせいで、痛いって言われへんようになった!」と涙を流すやもしれません。
お母さんに悪意なんて微塵もないじゃないですか。
そして、子どもが「大丈夫」って言われて嫌だったなんて、わかんないじゃないですか。
誰も悪くないんですよ。
そして。
もしもこれを読まれた繊細な方が、子どもになんて声かけしたらいいのかしら、と悩まれるかもしれませんが。
が。
人はその時にできるベストな選択をしています。
頭をぶつけた子を前にして
痛かったよね
大丈夫、大丈夫
どちらであったとしても、それは親としてのあなたの最善なのです。
それをどう受け取るかは、子の都合なのです。
なので、対処すべきは「言って欲しいこととは違っていた」という穴ぼこを埋めることだけなのです。
当然ながら、子の穴ぼこを埋めるのは親のあなたではありません、成長した「子」が小さかった時の自分に対して行うのです。
36歳のあなたが6歳のちっちゃいちゃんに対して、
大丈夫じゃないのに大丈夫って言われて嫌だったよね
丶(・ω・`) ヨシヨシ
と。