いまだ発達障害問題ではモヤるばかりでまとめることができていません。
発達障害は病気との前提でなら、どう対処するかに納得できる書物は多いです。
そもそも名称が嫌です、発達障害って。
障害者を障碍者にするとか障がい者にするとか、痴呆を認知症にするとか。
年寄りはこれから自分がたどる道、子どもは自分がたどった道だから、彼らのすることにそう怒るでない、と諌めるものがあります。
認知症が、本来ならば認知できるものがだんだんとできなくなっていくもの、認知能力を失っていくものとするなら、発達障害は獲得すべき発達が獲得できない障害となります。
うん、これはわかるのです。
問題はその原因です。ずーっと引っかかっているのはここ。
脳の一部がダメージくらっててそのせいでそこの部位が本来やるべきことができていないというなら、CTとかで頭の中を見たのか。
ダメージが見つかったとしても、それは結果であって原因ではないのではないか。
この数年で雨後の筍のように小児向けの心療内科が増え、バンバン精神薬が投与されてる光景を見るにつれ、納得いかないが増える一方なのです。
夫が発達障害なのです。
うん、うん
周りから反対されたけど、結婚したんです
うん、うん
結婚してから暴力がひどいのです
あら、あら
発達障害だから話し合いにならないのです
ちょっと、待てや!!
ここで私は大いに納得したのです。
病名をつけるとは諦める手段であることはわかっていましたが、そうか、解決に向けてアクションをとることを放棄するいい言い訳になるのだな、と。
DVが発達障害ということで諦めてもらえる。
誰得?
DV夫と別れるか否かの選択決定の機会の先延ばし。
病名をつけるとは本来は治療法とセットです。
厳密には発達障害は病名ではないでしょうけれど、名前がつくことで担当は専門家になる。
自分は責任を負わなくてよくなる。
お薬飲んだらとりあえず気になる症状は治る。
いいことばっかりですね♪
発達障害の症状はほぼほぼコミュニケーション障害。
キャッチボールがうまくできないこと。
↓例えばこれ
ポカミスが続けばそれは発達障害なのか
発達障害だからポカミスするのと、ポカミスするから発達障害とジャッジされてしまうの、これは水と油くらい違います。
ポカミスの原因が、過去の何かによる恐れだとしたら、その恐れゆえの傷を取り除けば発達障害様現象は解消されるかもしれないのに。
私が一番ひっかかるのはここなのです。
気持ちをケアすることで治るものを、片っ端から医療(服薬)に任せてしまっていいのかと。
人生のごく初期で受けた傷が積もり積もって脳にあからさまなダメージとなっているケースもあるでしょう。
それが服薬で治る、服薬でしか治らないとしてもです。
心に傷を受けたという事実を看過することには何のメリットもないのでは。
この人、発達障害では?と思ったら、ひとまず「キャッチボールが下手な人」として、なぜ下手になったのか、どうしたら上手になるのか、キャッチボールの相手は自分でなくてはいけないのか。
考えることで現状の滞りを少しでも動かせるのでは?と思います。
すんません、やっぱり今日もまとめられません。
発達障害と不妊の増加ぶり、そして対応クリニックの雨後の筍状態には、陰謀説を信じたくなるくらいです。